追悼・神田沙也加さん 突然の芸能活動休止、大地真央との縁…芸能生活を振り返る

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SAYAKAとしての活動を停止

 だが、高校卒業から間もない2005年5月、当時の所属事務所・ファンティックの代表だった祖母(聖子の母)がマスコミ各社にこんな告知文を送付する。

「高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたいという本人の意思により、SAYAKAとしての活動を停止させていただくことになりました」(当時の所属事務所の告知分)

 聖子は「本人の人生なので、SAYAKAの意思を尊重したい。温かく見守りたい」とコメントした。

 以後、沙也加さんは表舞台から消えた。鳴り物入りのデビューから丸4年が過ぎていた。

 後に沙也加さん本人が取材陣のインタビューに明かしたことだが、芸能界を離れている間はダイニングバーや和食料理店でアルバイトをしていたという。接客や掃除、調理場の手伝いなどをしていた。

「(SAYAKAとして歌や演技をやったものの)何かが飛び抜けて出来ていたわけではなかった」(沙也加さん)

「自己を形成する時間がないという危機感があった。自分を見つめる時間だけを持ちたかった」(同)

 自分が何者なのかを確認するため、芸能界を離れていた。真面目な人なのだろう。

大地真央との出会い

 芸能界を離れてから1年半後、たまたまアルバイト先に訪れた大地真央(65)と出会う。大地は慕う女優が多いことで知られる人だ。

 当時、沙也加さんには舞台「夏の夜の夢」(2007年5月)の妖精役のオーディションの話があった。受けるかどうか迷っていたが、大地に背中を押されて受け、そのまま出演する。

 時間は前後するが、大地が主演した舞台「紫式部ものがたり」(2006年12月)に出演し、これが芸能界復帰作となった。この時から芸名を「神田沙也加」にあらためた。

「本名で仕事をするのは、自分自身と向き合う作業です。やっとその準備ができました」(「紫式部ものがたり」の公演を控えた沙也加さん)

 大地の助言に沙也加さんは救われたらしい。この共演を機に沙也加さんは大地を「ママ」と呼ぶようになった。

 一方、2011年の大晦日には本当のママ・聖子とNHKの紅白歌合戦に出演。坂本九さんの「上を向いて歩こう」をデュエットした。

 沙也加さんは取材陣に「『一緒だから心強いわ』と言われ、うれしかった」「一緒に心を合わせて歌いたい」と笑顔で話していた。

 一方、舞台の仕事はドラマや映画と違い、大きな話題になりにくいが、一貫して評価が高かった。

 沖縄本土復帰40周年記念として2017年7月に上演された「ひめゆり」のヒロイン・キミ役もそう。太平洋戦争末期の沖縄戦でおびただしい犠牲者を出した女子学徒隊を描くミュージカルで、沙也加さん扮したキミは極限下でも人間性の維持を訴えた。

 制作発表で沙也加さんは「実際に経験していないので、軽々しく戦争を語れない」と話していた。

 同じ2012年10月には出演舞台「マクロス ザ・ミュージカルチャー」を急性胃腸炎によって緊急降板。本人は「出る」と言ったが、ドクターストップがかかった。

 約1カ月後に復帰した際には自身のブログに謝罪の言葉を載せ、さらに深々と頭を下げる写真をアップした。

「これからまた、ばりばり頑張ります。blogもTwitterも長くお休みさせていただいてしまったので、次から元気に更新します」(沙也加さん)

 体調不全というやむを得ない事情でありながら、謝まってしまい、頑張ると誓うところが沙也加さんらしさだったのか…。

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