中村吉右衛門さん逝く あの愛すべき人柄はどこで形成されたのか

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白鸚が長嶋なら吉右衛門は王

《大人になってからもずっと実母は初日に私の舞台を見ては楽屋で駄目出しをしました。私が話を聞かないと、びっしりメモにしたためて置いていきました。》(同)

 かといって、歌舞伎漬けという人だったわけでもない。

「若い頃はジャズ好きで有名でしたし、フランス好きで印象派の絵を好みました。好きな女性のタイプはマリリン・モンローでしたから、時代の風もしっかりと受けていた。松竹から東宝に移籍してからは、スタンダールの『赤と黒』でジュリアン役など西洋ものも演じましたし、決して歌舞伎の世界に閉じ籠もっていた人ではありませんでした」

 鬼平こと長谷川平蔵を演じたドラマ「鬼平犯科帳」(フジテレビ)など、時代劇が多かったイメージが強い。

「ミュージカル『ラ・マンチャの男』をブロードウェイでも演じ、三谷幸喜脚本の『王様のレストラン』(フジ)では主役も演じたお兄さんに比べたら、弟はやや地味に映るかもしれません。スポーツ報知が今回の訃報で、《兄の染五郎(現白鸚)が長嶋なら、弟の吉右衛門は王に近い》と、同紙が昭和40年代にONに例えて紹介していたことを記事にしていましたが、天真爛漫な白鸚さんと、着実に実績を積む吉右衛門さんをよく表していると思います」

 吉右衛門さんは「週刊新潮」にも、読者に協力を呼びかける“掲示板”コーナーにたびたび登場している。いくつか紹介してみよう。

芝居の蘊蓄も逝ってしまった

《四年ぶりに新橋演舞場で鬼平を演じることになりました。鬼平は男として、上司として、また人間としても理想ですが、演じるこっちは生身の人間ですからああはいかない。(中略)さて、どなたか“長門(ながと)”という江戸時代の煙草入れをお持ちじゃないでしょうか。紙縒(こより)を編んで作った物のため保存が難しく、歌舞伎の芝居の小道具としてよく登場するのに、今となっては現物が見つからず代用品を使っています。けれどもやはり本物が欲しい。せめて見せていただければ助かるのですが……。》(99年2月25日号)

《9月は、新橋演舞場で「秀山祭九月大歌舞伎」を今年もやらせていただきます。初代吉右衛門ゆかりの舞台ですが、その中の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』は、武智光秀(明智光秀)が本能寺に至るまでを描いた四代目鶴屋南北の作です。愛宕山連歌では、光秀が「時は今天が下知る皐月かな」と詠んで短冊に書く場面があります。明智光秀の書体が残ったものはないでしょうか。どういう字を書いたのか、字は体を表すといいますが、芝居のために是非見てみたい。写真でも構いません。お持ちの方がいらしたら、ご連絡下さい。》(12年8月16・23日号)

「芝居についてよく調べて研究することで知られていましたが、そんなこともやっていたんですね。吉右衛門さんは楽しい面がありつつも、歌舞伎に生涯を捧げた人でした。亡くなって残念なのは、彼の演技が見られなくなることに加え、そうした作品を掘り下げた芸談が残されていないこと。相当な蘊蓄が吉右衛門さんの中にはあったはずです。それらを残してくれたら、次代の歌舞伎役者のためにも、歌舞伎ファンのためにも、大きな遺産となったと思います」

 返す返すも残念だ。

デイリー新潮編集部

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