「新幹線の長寿車両」歴代ベスト5 超スピードの運転で短い命…最長は45年

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第1位:JR東海・西日本0系(1964~2009年)…45年

 東海道新幹線開業時の車両で、1964年に登場。当時は「新幹線電車」と称されており、200系の登場を機に「0系」の名がつく。

 東海道新幹線は東京オリンピック1964大会に間に合わせるという絶対条件のなか建設が進められ、1964年10月1日に開業。当時、〈ひかり〉は“夢の超特急”と称された。

 当初は12両編成だったが、1969年12月より順次16両編成化。1972年3月15日に山陽新幹線が開業すると、1974年より〈ひかり〉用を対象に食堂車の連結を開始した。0系にとって、普通車、グリーン車、ビュフェ、食堂車を交えた16両編成は“完成の域に達した”と言えよう。

 1987年4月1日の国鉄分割民営化により、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の管轄に。前者は0系の廃車を順次進めつつ、〈こだま〉の指定席をすべて2人掛けに更新。後者は0系のグレードアップ改造を行ない、『ウエストひかり』(新大阪―博多間の〈ひかり〉)と銘打ち、もうひと花を咲かせた。

 JR東海は1999年9月18日の〈こだま473号〉名古屋行き、JR西日本は2008年12月14日の臨時〈ひかり347号〉博多行きをもって引退した。

 その後、新下関新幹線乗務員訓練センターに残存していた訓練車が2009年1月5日未明、100系の牽引により、博多総合車両所に回送された。0系にとっては“最後の花道”と言えるだろう。

第6位以下は?

第6位以下のランキングは下記の通り。

第6位:JR東海・西日本※700系(1997年~。JR東海車は2020年に引退)、JR東日本E4系(1997~2021年)…24年

第7位:JR東海・西日本300系(1990~2012年)…22年

第8位:JR東日本400系(1990~2010年)…20年

第9位:JR東日本E1系(1994~2012年)、JR九州※800系(2003年~)…18年

第10位:JR東海・西日本・九州※N700系(2005年~)…16年

第11位:JR東日本※E5系(2009年~)…12年

第12位:JR東日本※E6系(2010年~)…11年

第13位:JR東日本※E7系(2013年~)…8年

第14位:JR西日本※W7系、JR北海道※H5系(ともに2014年~)…7年

番外編

 新幹線車両は旅客車両のほか、電気軌道総合試験車も存在する。こちらは運用頻度が低いため、新幹線の旅客車両に比べると、長持ちしている。

 東海道・山陽新幹線では「ドクターイエロー」の愛称で親しまれている。その第1号となった922形は、1962年に高速試験車の1000形として登場。試験終了後、東海道新幹線の開業に伴い、電気軌道総合試験車に改造された。

 山陽新幹線岡山―博多間の延伸開業を控えた1974年、0系ベースの新型電気軌道総合試験車922形10番台が登場し、交代する。1979年には増備車の20番台も登場し、検測体制の強化を図った。

 分割民営化後はJR東海・西日本が継承し、前者(10番台)は2001年、後者(20番台)は2005年に引退。922形としては41年、旧1000形から通算すると43年も続いた。後釜は700系ベースの923形で、2000年に登場し、21年が経過した。

 一方、東北・上越新幹線版のドクターイエローは、200系ベースの925形として1979年に登場。分割民営化後はJR東日本が継承し、2003年に引退。24年の歴史に幕を閉じた。

 後釜はE3系ベースのE926形East iで、ドクターイエローとは呼ばない。2001年に登場し、20年が経過。JR東日本管内のみならず、JR西日本の北陸新幹線上越妙高―金沢間、JR北海道の北海道新幹線新青森―新函館北斗間にも乗り入れている。

 なお、JR九州は800系の一部が検測車の役割を兼ねている。

岸田法眼(きしだ・ほうがん)
レイルウェイ・ライター。1976年栃木県生まれ。『Yahoo! セカンドライフ』(ヤフー)の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降、フリーのレイルウェイ・ライターとして、『鉄道まるわかり』シリーズ(天夢人)、『AERA dot.』(朝日新聞出版)などに執筆。著書に『波瀾万丈の車両』『東武鉄道大追跡』(ともにアルファベータブックス)がある。また、好角家の一面を持つ。引き続き旅や鉄道、小説などを中心に著作を続ける。

デイリー新潮編集部

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