日本各地で鉄道事業を起こした渋沢栄一 「青天を衝け」で描かれなかった3人の鉄道人たち

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3人目は…

 奇しくも2024年から使用が開始される新一万円札は、表面に渋沢の肖像、裏面に東京駅丸の内駅舎が描かれている。

 その東京駅丸の内駅舎をデザインした辰野金吾は、明治建築界の大御所として知られる。辰野は東京駅丸の内駅舎のほか、関東大震災で焼失してしまった初代の万世橋駅、大阪府堺市の浜寺公園駅などを手がけた。

 辰野を鉄道人として紹介することには違和感があるかもしれない。しかし、鉄道界や鉄道史において辰野の功績は無視できない。

 また、辰野がデザインしたのは駅舎だけではない。東京駅前に建立された井上像は戦時中の金属供出で消失し、現在は1959年に制作された2代目が立つ。初代の台座は辰野がデザインしたものだった。その台座は、東京駅前に所在していた国鉄本社新館の建て替え工事の際にリニューアルされてしまったが、こうしたところでも辰野は鉄道と結びついている。

 蜂須賀・井上は渋沢と鉄道事業で結びついていたが、辰野と渋沢は鉄道そのものではなく、日本橋兜町の渋沢邸を設計するといった関係でつながっていた。また、辰野は日本銀行本店をデザインしている。渋沢とは経済・金融という面でのつながりが強い。

 こうした多方面の交流からも窺えるように、渋沢は財界のみならず政界や学界を問わず多くの人物と接点を持ち、考え方が異なる人物と協力関係を築くことは少なくなかった。

 それだけに渋沢と関係した歴史に名を残した政治家・実業家・学者は数え切れない。残りの放送回は少なくなっている。どこまで、渋沢と関係した人物が登場するのか?

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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