石原伸晃落選の原因となった「戦略ミス」とは 派閥は存続の危機に

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明らかな戦略ミス

 実は、石原氏の苦境は当初から指摘されてきた。

「選挙のたびに応援団を送り込んでいた石原プロも今年1月に解散してしまった。そのため、公示前から駅頭に立ってドブ板選挙を繰り広げてきました。一方で、メディアの取材を受けつけず、演説日程も公開しない“ステルス”戦を展開。候補者を対象としたネット討論会にも姿を見せなかった。代わりに、支援者には手紙を送り、党員ではない杉並区民にも電話ローラーを仕掛けていますが、これが明らかな戦略ミスでした。地元からは“慎太郎さんか良純さんを呼んでいれば結果が違ったんじゃないか”と言われる始末です」(同)

 石原氏が慎太郎氏の背中を追って政界入りしたのは1990年のことである。都知事に転身した慎太郎氏から、総理の夢を託された石原氏は総裁選に2度、挑戦している。

「特に2012年の総裁選では、森喜朗さんや青木幹雄さんといった重鎮からの支援を受け、本命扱いだったものの3位に甘んじた。その後は失言以外に目立った活躍はなく、今回の組閣でも石原派の閣僚はゼロ。ご本人の落選で派閥は存続の危機を迎えます」(同)

 弟の宏高氏も小選挙区で敗北し、慎太郎氏の夢は完全に潰えたようだ。奇しくも石原軍団と同じ年に、永田町の石原王国も役割を終えようとしている。

週刊新潮 2021年11月11日号掲載

特集「赤絨毯 『不合格者』たちの後始末」より

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