膝の怪我で7回手術……バレーボール35歳「清水邦広」が満身創痍で現役を続ける理由

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リハビリが水の泡に

 しかし、復帰を目指すと決めたものの、その後も事あるごとに気持ちは揺れ動いた。

「あの大怪我からこれまで、僕は膝の手術を7回しているんです。最初は半月板の手術。その後、リハビリを1ヵ月行って筋力をつけてから、次に前十字靭帯、内側側副靭帯の手術をしました。最初は膝をほんの少しだけ曲げたり伸ばしたりするだけのリハビリでさえ、まったく力が入らなかった。筋肉が落ちて細くなっていく足を見ては、こんなことをしていて、本当にまたバレーボールをできるようになるのかと落ち込んだり、限られた中でも今やれることをすることが最大の近道だと思い直したり、気持ちの浮き沈みが激しかったですね。

 何度も“どん底”の時期はありましたが、一番つらかったのは、最初に(膝の手術による)感染症になってしまったときでした。靭帯の手術後、1ヵ月のリハビリ期間を経てようやく退院という日に、なんだか熱っぽい。退院はさせてもらったのですが、その日の夜に38度を超える熱を出し、すぐに先生に電話しました。病院に戻って検査をすると、『感染している』と言われ、緊急手術をすることになったんです。感染症の手術後は2週間ほど安静にしなければならず、それまでのリハビリが水の泡になってしまいました」

 医師から感染症のリスクも伝えられていたが、「まさか自分が」という思いと、さらに“回り道”を強いられることに落胆し、言いようのない焦りが湧き上がってきたという。気持ちが揺れる中、パナソニックに当時いたコーチから言われた「小さな積み重ねが後に大きな変化を生む」という言葉が励みになった。

何十年も続くわけじゃない

「また他のメンタルコーチの講習で、『人生が80年ほどあるとしたら、リハビリをするのは本当に短い間。何十年も続くわけじゃないから自分自身にプレッシャーを与え過ぎず、リハビリをやりたくないときはしなくてもいいんじゃない』と、アドバイスを受けました。僕はそれでもリハビリをずっとやっていましたけど(笑)。確かに、後から人生を振り返ってみたらほんの一瞬かも、そういう考え方もあるんだなと受け入れたときに、ふと心が軽くなりました。

 北京オリンピックで1勝もできず、ロンドン、リオは出場を逃していたので、怪我をする前は、東京ではその悔しさを晴らしたい、という気持ちばかりでした。しかし、リハビリを始めるようになってからは先のことを考えるのではなく、まずは復帰することを目標に1日1日のリハビリに集中するようになりました。ドクターにあらかじめ復帰の目途を教えてもらったうえで、いつ歩くためのリハビリをスタートするか、いつジャンプするか、など目標を設定すると、暗闇を手探りで進むような感覚になることもなく、スムーズに進んだように思います。

 ドクターは絶対この日に治ると断言はできないし、もちろん休ませる時間を充分にとらせた方が良いと考えています。でも僕はボールに触る感覚すら忘れてしまいそうなので、なるべく早く復帰したかった。怪我に関しては素人なので、ドクターの意見は絶対聞かなくてはならないときもありますが、リハビリを早く進めたいので、ドクターとは駆け引きをしていたような感じです。そうしているうちに、焦りもなくなっていきました」

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