オムロン創業者の立石一真 駅の自動改札機を開発した男の「7:3の原理」

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京都ベンチャーの師

 平成に入り第2世代が開花した。日本電産、京セラ、村田昭の村田製作所(村田機械とは全く別の会社。電子部品の雄が村田製作所だ)、山内溥の任天堂と、有望なニューフェースが次々に生まれた。こうして古都・京都はハイテク王国となった。

 京都の経済人はビジネスの枠を超えて親交が深い。他の地域にない特徴だ。世間では京都人と付き合うのはなかなか難しいといわれるが、ことベンチャーの世界は別物の感さえする。

 ベンチャー企業の創出に尽力してきた第1世代の立石一真が「京都ベンチャー企業の師」と呼ばれるのは当然の帰結である。

 ところが、昨今のベンチャーキャピタルやインキュベーターたちは「5年で株式公開までもっていって下さい」などと口やかましく言う。投資した資金を早期に回収したいからだ。そんなことを言えば、上場がゴールの促成栽培のハイテク・ベンチャーばかりになってしまう。

 一真のように経営の相談に乗って、「これは」と思った企業・経営者とはとことん付き合うことなどしない。“早射ちマック”なのである。10射って1つ成功すれば、それでいいと割り切っている。残りの9社は切り捨ててしまう。だからだろうか。ソニーやホンダのように世界を動かすベンチャー企業が登場してこない。

一真こそ“エンジェル”

 ベンチャー企業を育成することに情熱を注いだ一真はまったく違う。正真正銘のエンジェルなのだ。エンジェルとは創業間もないベンチャー企業に資金を提供する個人投資家のことだ。困っている人を助ける天使(エンジェル)にたとえられて、こういう呼び名がついた。

 社名を立石電機からオムロンに変更した翌年の1991年1月12日、一真は90歳で亡くなった。

「機械にできることは機械に任せ、人間が健康に暮らし、創造的な活動を楽しめる社会を作る」

 これが生涯を貫いた志だった。

 一真個人の特許の出願数は457件、このうち権利取得数が273件という驚異的な数字こそが、「技術が社会を変える」との一真の確信の証である。
(敬称略)

有森隆(ありもり・たかし)
経済ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒。30年間、全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書に『日銀エリートの「挫折と転落」――木村剛「天、我に味方せず」』(講談社)、『海外大型M&A 大失敗の内幕』、『社長解任 権力抗争の内幕』、『社長引責 破綻からV字回復の内幕』、『住友銀行暗黒史』(以上、さくら舎)、『実録アングラマネー』、『創業家物語』、『企業舎弟闇の抗争』(講談社+α文庫)、『異端社長の流儀』(だいわ文庫)、『プロ経営者の時代』(千倉書房)などがある。

デイリー新潮取材班編集

2021年11月8日掲載

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