オムロン創業者の立石一真 駅の自動改札機を開発した男の「7:3の原理」

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50歳を過ぎて活躍

 その一方で、「花街の将来は楽観できるものではない」として、京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)の理事長に就き、京都・祇園の文化の保存・継承にも力を尽くした。お堅いだけの経営者ではなかったわけだ。

 立石一真は経営学の世界では超有名人なのである。

 世界トップクラスの経営大学院として高い評価を得るハーバードビジネススクールの教材に、日本企業の事例が数多く登場する。

 中でも独自の経営哲学を持ったリーダーとして評価が高いのは、パナソニックの創業者で“経営の神様”こと松下幸之助と、オムロンの創業者の立石一真なのだ。ビジネスの世界でもオリジナリティが尊重される。

 経営コンサルタントの大前研一は立石一真を、「町工場を世界的企業へ飛躍させた松下電器産業(現・パナソニック)の松下幸之助やソニーの盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎に匹敵する大経営者であり、『50過ぎて事を成したのは、伊能忠敬と立石一真だけ』」と評した。

 伊能忠敬は、隠居後に前人未踏の全国測量を成し遂げ、精密な日本地図を作成した偉人だ。

ピーター・ドラッカーが称賛

 一真の企業組織の管理・運営手法が斬新だった。

 1955(昭和30)年に始めた「プロデューサー・システム」が一真メソッドの代表例として取り上げられることが多い。

 それぞれの組織を管理可能な規模にとどめた分権経営を、一真はこう呼んだ。こうすれば採算に目配りしやすくなる。

 開発したオートメーション用の部品が一定の生産量に達すると、全額出資で生産子会社を設立する。それぞれの企業の従業員数は、その会社の社長の目が届く50人を目安とし、独立採算制をとった。作られた製品は親会社が売る。

〈経営学の泰斗、ピーター・ドラッカーが、このシステムに注目し称賛した。一九五九年に講演で初来日した際、観光で京都を訪れたドラッカーを一真は自宅に招き、分権経営について意見を交わした。意気投合した二人は、その後も、家族ぐるみの付き合いが続いた〉(『20世紀日本の経済人II』日経ビジネス人文庫)

 ドラッカーが書いた著書は世界中のビジネスパーソンに広く読まれ、企業活動にも影響を与えた。彼の著作が読まれた理由は、現代のビジネスシーンにとって必須の「マネジメント」という概念を発明(発見?)したからであろう。

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