毒蝮三太夫×生島ヒロシ対談 毒舌が許された理由、85歳で現役の健康法とは

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“巣鴨の王子様”

生島 とはいえ、これまではコロナで外に出かけられなかった。人に会わなければ耳に入る情報も限られるし、新聞を読まない人も多い。テレビだと毎日のように「コロナの感染者は過去最多で……」と報じてはいろいろなコメンテーターが出てくる。でも、どうしたら感染しないかという痒いところに手が届くような予防策を、もっと教えてほしいと思うことがあるんですね。僕はうがい手洗い顔洗いだけじゃなく、鼻洗いや腸内環境を整えるとか、「自分は感染したくない」という視点で情報を発信しています。リスナーからも参考になると言われますね。ラジオは身の丈サイズで情報を伝えられますから。

毒蝮 最近は独居老人も多いしね。そういう人にとって、ラジオは気軽に懐に飛び込んできてくれる。町の面倒見のいいおじさんのような役割を果たしているね。今こそラジオの時代だな。

生島 テレビよりラジオに出た方が、道行く人から「いつも聞いていますよ」って反応が返ってくることが圧倒的に多いですよね。

毒蝮 俺も“巣鴨の王子様”って呼ばれているからね(笑)。あの街は、そこら中にババアやジジイが佃煮みたいに歩いているからさ。

生島 はっはっは。

毒蝮 巣鴨はずいぶんと番組でお世話になった。くたばりぞこないが来て賑わっているけど、そういう街は意外と若い人も集まるんだ。“どうして年寄りが多いのか”と興味を持つみたいで、若者向けの店もたくさんできた。だから、俺が生放送で足を運ぶと、たくさんの年寄りが集まるけど、若い人も随分と見に来てくれて飽きることがないよ。

〈毒蝮が進行役を務めるレギュラー番組「ミュージックプレゼント」は、昭和44年10月のスタート以来、彼自身がラジオ局を飛び出して全国各地のスーパーや商店、会社や工場に足を運んだ。買い物客や従業員たちとのざっくばらんな掛け合いが評判を呼び、訪問先は実に1万軒以上。これまで出会った人は延べ62万人を超える。〉

生島 普通は生放送が終わるとすぐ帰ってしまうところ、マムシさんは居残って、街の人と雑談を続けてきた。そんな姿を見ると、損得抜きのすごさを感じます。

毒蝮 若い芸人連中もよく見に来てくれて、木梨憲武とか恵俊彰とか。有吉弘行なんて、俺の毒舌を真似したら、えらい目にあったって言ってたっけな。

生島 そんな彼も奇麗な奥さんもらってね。

毒蝮 今やテレビの寵児だもんな。

生島 若い人たちも、マムシさんの話術からヒントを得ていたわけですね。

毒蝮 同じTBSラジオでも、ヒロシとか悠里ちゃん(大沢悠里アナ)、森本毅郎さんたちの番組と比べたらさ、俺の番組はスタジオで座ってマイクの前で喋らない。台本もないし、合間の音楽だって流れない。

生島 マムシさんの番組名は「ミュージックプレゼント」なのに、ほとんど音楽がかからない(笑)。

毒蝮 お前の番組は“トークプレゼント”だとからかわれるけど、レコード会社から文句言われたことはないよ。曲がかかっても、時間オーバーでイントロだけとかエンディング前に終わっちゃうとか日常茶飯事だから。

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