「ジャイアンツ大嫌い」発言で戦力外も…クビになっても日本にこだわった“助っ人列伝”

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NPB史上初の珍事

 最後に“幻の入団”も含めて外国人最多の5球団を渡り歩いた“ジャーニー・マン”を紹介する。

 01年のロッテを振り出しに足掛け11年間に渡って日本でプレーし、登板前に高速で腕をグルグル回す“準備運動”で人気を博したブライアン・シコースキーだ。ロッテでは入団2年目から2年連続47試合に登板したが、03年オフ、ボビー・バレンタイン監督の就任に伴う外国人入れ替えで、まさかの戦力外通告を受けた。

 同年12月、リリーフ陣の強化を目指す巨人が獲得。移籍2年目の05年に70試合登板の7勝14ホールドと大車輪の活躍も、「絶対的な抑え、中継ぎではない」と評価は低く、ウェーバー公示された。

 2週間後の11月21日、抑え候補を探していた楽天が、巨人に400万円の譲渡金を払って獲得したが、ここから“前代未聞”の騒動が起きる。

 シコースキーが子供の教育問題を理由に米球界復帰を希望したことが原因だった。交渉は難航し、1ヵ月後、楽天側は「(06年は)日本の他球団と契約しない」ことを条件に契約を解除した。球団同士の契約譲渡が完了しながら、選手との契約が成立しない幻の入団劇は、NPB史上初の珍事だった。

常に全力でプレーの“鉄腕リリーバー”

 しかし、日本球界は、まだシコースキーの力を必要としていた。インディアンス3A時代の07年5月、投手陣に故障者が相次いだヤクルトに緊急補強され、29試合に登板。翌年には「日本一のファンがいる」大好きな古巣・ロッテに復帰し、2年連続50試合以上に登板した。

 さらに10年には、通算5球団目の西武で33セーブを挙げ、初タイトルを獲得。同年はFA権も取得したが、翌11年に右肘を痛めてシーズン途中退団。12年オフに入団テストを経て、西武と再契約をはたすも、今度は春季キャンプ中に右膝を痛め、1軍登板のないまま、日本を去った。

 楽天との契約トラブルはあったが、使い勝手の良さから各球団で重宝され、通算438試合登板を記録。最速152キロの速球を武器に、常に全力でプレーした“鉄腕リリーバー”を懐かしむファンも多いはずだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年10月18日掲載

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