くちづけで10億個の細菌が交換される? 人の9割は細菌? 奥深過ぎる「細菌」の世界

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「細菌」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 不潔と感じる人もいるだろうが、腸内の細菌を多様に保つための「腸活」も一般化しつつあり、近年は母乳を通じて子どもに受け渡される免疫抗体に腸内細菌が関係していたり、不治の病とされるパーキンソン病も腸内細菌の働きが影響している、という説も語られている。健康を語る上で、細菌を通らずにはいられないのだ。

 そもそもヒトの体には大量の細菌が存在する。医療・医学の最前線の取材を重ねてきた在イギリスのノンフィクション・ライターであるビル・ブライソンの『人体大全―なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか―』(桐谷知未訳)を紐解くと、人がいかに細菌に依存して生きているかがわかる。

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ヒトは微生物や細菌の“マイホーム”である

 あなたは何兆、何十兆もの小さな生き物の住まいであり、彼らは驚くほど多くの点で役立ってくれている。あなたが自分では利用できない食物を分解してエネルギーの約10パーセントを供給し、その過程でビタミンB1やB12などの有益な栄養素を抽出する。スタンフォード大学で栄養学研究の指導教官を務めるクリストファー・ガードナーによると、ヒトは20種類の消化酵素を生成し、それは動物界ではなかなか立派な数字だが、細菌は1万種類、つまり500倍多く生成する。「彼らがいなければ、わたしたちははるかに栄養状態の悪い人生を送っていただろう」とガードナーは言う。

 ひとつひとつは限りなく小さく、彼らの命ははかない。平均的な細菌の重さは1ドル札の重さの約1兆分の1で、命の長さはほんの20分ほどだ。しかし、集合的に見ると、まさに侮りがたい存在感がある。あなたが一生のうちに手に入れられる遺伝子は、持って生まれたものだけだ。もっといい遺伝子をどこかから買ってきたり、新品に取り替えたりすることはできない。しかし細菌は、まるでポケモンカードのように、互いに遺伝子を交換できるし、死んだご近所さんからDNAを拾うこともできる。「遺伝子の水平伝播(でんぱ)」として知られるその機能のおかげで、自然や科学研究にどんな目に遭わされようと適応できる能力が、飛躍的に高まる。しかも細菌のDNAはあまり正確に校正されないので、しょっちゅう突然変異が起こり、ますます遺伝的な適応力が向上する。

地球は“微生物の惑星”である

 ヒトは、変化の速度については細菌に遠く及ばない。大腸菌は1日に72回増殖できる。つまり、わたしたちが全人類史にわたって築き上げてきたのと同じ数の新世代を、3日でつくれるということだ。理論上では、たった1個の細菌の親が、2日以内で地球の重さより重い子孫の集団を生み出せる。3日で、その子孫は観測可能な宇宙の質量を超えることになる。そんなことは決して起こりえないが、わたしたちの周囲にはすでに、想像を絶するほど多数の細菌がいる。もし地球上のすべての微生物をひとつの山に、他の動物すべてをもうひとつの山に積み上げたとしたら、微生物の山は動物の山の25倍大きくなるだろう。

 だから、勘違いしてはいけない。ここは微生物の惑星なのだ。わたしたちは彼らの気まぐれのおかげで、ここにいる。微生物たちにとって、ヒトはまったく必要ない。ヒトのほうは、彼らがいなければその日のうちに死んでしまうだろう

痩せている人は、太っている人より腸内微生物が多い

 わたしたちの内や外や周囲にいる微生物については、驚くほど解明が進んでいない。ほとんどが実験室では育たないので、研究がひどくむずかしいからだ。ひとついえるのは、今そこに座っているあなたは、およそ4万種の細菌にとっての“わが家”だということ。これまでに見つかっている細菌は、鼻孔で900種、両頬の内側で800種超、おとなりの歯肉で1300種、消化管では3万6千種にもなる。そしてその数字は、新たな発見があるたびに次々と更新されていくに違いない。2019年初めに、ケンブリッジ近くのウェルカム・サンガー研究所で、たった20名を対象に行われた研究では、存在すらまったく知られていなかった105の新種の腸内微生物が見つかった。人によって厳密な数には開きがあり、個人の体内でも幼少期か高齢期かによって時とともに変わるうえに、どこで誰といっしょに眠っているか、抗生物質を服用しているか、太っているか痩せているかによっても変わってくる(痩せている人は、太っている人より腸内微生物が多い。貪欲な微生物を持つことが、痩せている理由の少なくとも一端を担っているのかもしれない)。もちろんこれは、種の数にすぎない。個々の微生物について言えば、その数は想像をはるかに超え、数えようがない。兆の単位だ。あなたの体に棲んでいる微生物の山を合計すると、およそ1.4キログラムで、ほぼ脳と同じくらいの重さになる。最近では、体内の微生物叢(そう)を器官のひとつと定義する研究者もいる。

 長年のあいだ、一般に、誰もがヒト細胞の10倍もの細菌細胞を持っているといわれてきた。自信ありげに聞こえるその数字は、1972年に書かれた推測にすぎない論文から出てきたことがわかっている。2016年には、イスラエルとカナダの研究者たちがもっと慎重な評価を行い、各人が約30兆個のヒト細胞と、30兆から50兆個の細菌細胞(健康状態や食事など、たくさんの要因に左右される)を持つという結論に達した。つまり、両者の数はほぼ同等らしい。ただし、ヒト細胞の85パーセントは赤血球で、通常の細胞機構(核やミトコンドリアなど)を何も持たず、実際には単なるヘモグロビンの容れ物なので、本物の細胞とはいえないことも憶えておくべきだろう。別の考えかたによれば、細菌細胞はとても小さいが、ヒト細胞はそれに比較すると巨大なので、膨大さに関して、そしてもちろん機能の複雑さに関しても、ヒト細胞のほうが疑いの余地なく大きな意味を持つ。その一方で、遺伝学的に見れば、ヒトの中には自分の遺伝子が約2万個しかないが、おそらく細菌の遺伝子は2千万個ほどもあるので、その視点からすると、あなたのおよそ99パーセントは細菌で、あなた自身はほんの1パーセントでしかないともいえる。

情熱的なくちづけで10億個の細菌を交換?

 ヒトの体に棲む微生物群は、驚くほど個人差が大きい。あなたもわたしも数千種の細菌を体内に持っているが、共通の細菌はごく一部にすぎないだろう。どうやら微生物は、凄腕のハウスキーパーらしい。男女の関係をもつと、あなたとパートナーは否応なくたくさんの微生物や他の有機物を交換する。ある研究によると、情熱的なくちづけだけでも、ひとつの口からもうひとつの口へ、最大10億個の細菌と、いっしょに約0.7ミリグラムのタンパク質、0.45ミリグラムの塩、0.7ミリグラムの脂肪、0.2ミリグラムの“種々雑多な有機化合物”(すなわち食べ物のかけら)が移動するという。しかしパーティーが終わるとすぐさま、両参加者の寄生微生物は猛烈な大掃除のようなものを始め、たった1日かそこらで双方の微生物プロファイルはほぼ完全に、くちづけする前の状態に戻る。ときおりなんらかの病原体がこっそりすり抜け、そのせいでヘルペスになったり風邪を引いたりするが、それは例外だ。

地球上の死因の3分の1

 幸い、ほとんどの微生物はわたしたちとはなんの関係もない。体内でおとなしく暮らしている微生物も数種類いて、それらは「片利共生生物」と呼ばれる。わたしたちの具合を悪くするのは、ごく一部にすぎない。同定されている100万種類ほどの微生物のうち、ヒトの病気の原因となることが知られているのは、たった1415種類だ。全体から見ると、とても少ない。そうはいっても、体調を悪くする方法としてはずいぶん多いし、その1415種類の小さな情け容赦ない存在は、合計すると、地球上のあらゆる死因の3分の1を占めている。

 あなたの個人的な微生物のレパートリーには、細菌だけでなく、真菌、ウイルス、原生生物(アメーバ、藻類、原虫など)、古細菌も含まれる。古細菌はずっと、単なる細菌の一種と考えられていたが、実際にはまったく別の系統に属している。とても単純で核を持たないという点で細菌によく似ているが、既知の病気をひとつも引き起こさないという、ヒトにとっての大きな利点がある。メタンなどの形を取ったちょっとしたガスを出すだけだ。

 これらすべての微生物は、来歴や遺伝的特徴について共通点がほとんどないことを心に留めておいてほしい。彼らを結びつけているのは、小ささだけなのだ。彼らすべてにとって、あなたは人間ではなく、ひとつの世界を成している。振動は激しいけれど、広々としたすばらしく豊かな生態系で、便利な可動性を備え、しかも、くしゃみをしたり、動物を撫でたり、実際に必要とされるほど念入りに手を洗わなかったりといった、彼らにとってとても都合のいい世界というわけだ。

※本書『人体大全―なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか―』と一部表現を変更しています。

デイリー新潮編集部

2021年10月15日掲載

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