「サクラ印ハチミツ」が“発がん性疑惑農薬”混入を隠蔽 発覚の背景に「先妻の息子」と「後妻の息子」の遺恨裁判

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キーマンの寝返り

 今も続く「信一郎派」と「禮次郎派」の争いはこの時から始まっているわけだが、最初に主導権を握ったのは信一郎派。キーマンとなったのは、信一郎氏の甥のA氏だった。

「信一郎派と禮次郎派の株数は拮抗していたのですが、A氏を含む信一郎派の親族全員でギリギリ過半数となることが分かったので、全員の合意が取り付けられ、08年1月に臨時株主総会が開かれました」(別の株主)

 この株主総会で禮次郎氏は代表権のない取締役に格下げされ、信一郎氏が経営権を握ることとなった。しかしその天下は長くは続かなかった。

「A氏は横浜工場の工場長を務めていたのですがいろいろと問題があり、10年の暮れに本人としては不本意ながら本社の企画開発本部長に就任。ただ、後から聞いた話では横浜工場にいた頃から他の役員に対して“誰のおかげで今の体制になっているか分かっているのか”と言ったりしていたようです。また、11年頃からは社内外で“俺が体制を変えられる”などと吹聴していたとも聞いています」(同)

 12年春には信一郎氏、禮次郎氏、A氏、信一郎氏の息子の4人で話し合いが持たれたという。

「A氏は自分が代表者になることなどに対する『同意書』を持ってきたそうです。当然信一郎さんは同意しなかったのですが、禮次郎さんは同意。結局A氏が代表権を持つことにはならなかったものの、こうしてA氏が寝返ったことで“政権交代”が起こり、禮次郎体制がスタートしました」(同)

 12年夏の臨時株主総会以降、信一郎氏自身や信一郎派の役員は次々と外され、現在も「禮次郎体制」が続いている。しかし、信一郎派とてそれを黙って受け入れているわけではない。

「A氏に対して不自然に高い役員報酬を支払うことで、現在の体制が成り立っている。これは議決権買収ではないかということで昨年、訴訟が提起されたと聞いています」(同)

 その訴訟の中で、禮次郎体制の“腐敗の象徴”として、グリホサートの「残留基準値超え商品」が堂々と売られている実態が暴露されたのである。無論、その事実が広く知られることになれば「サクラ印ハチミツ」ブランドに傷がつく可能性もある。その意味では、なりふり構わぬ戦いなのである。

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