問題行動で契約解除も…… ドラ1入団でも入団5年以内に戦力外通告された6人の投手

スポーツ 野球 2021年10月11日掲載

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 いよいよプロ野球のドラフト会議がはじまった。プロ野球選手の平均在籍年数はおよそ8年。この数字をみれば、いかにプロの世界は競争が激しいかが分かるだろう。今回は、入れ替わりが激しいプロ野球の世界にあって、21世紀に入ってから、5年を待たずに戦力外通告されたドラフト1位入団の投手たちを紹介していこう。

 まずは現在、阪神タイガースと激しい優勝争いを繰り広げている東京ヤクルトスワローズから。2014年のドラ1だった竹下真吾である。社会人野球の名門・ヤマハから入団した竹下は、最速150キロの直球を武器に2年連続都市対抗野球に出場。即戦力の本格派左腕としてかなり高い期待を背負っていた。

 ところがルーキーイヤーとなった15年は1度も1軍登板はなく、2軍成績も防御率9.16という散々なものだった。翌16年はプロ初登板を果たすも1試合のみ。17年も1軍登板を果たせず、2軍でも防御率10.88という数字で、この年のオフに戦力外通告を受けた。プロ通算成績は1試合に登板、2回2/3を投げて被安打2、与四死球6で勝ち負けつかずの防御率13.50。3年間の2軍での通算成績が94回を投げて、与四死球111だったことから分かるように、制球難がまったく改善されなかったことがプロで大成出来なかった理由に挙げられよう。引退後は一般企業に就職している。

中日には2名

 セ・リーグで現在最下位争いを展開している中日ドラゴンズには、該当する選手が2人いる。まずは05~07年に在籍した樋口龍美だ。大学卒業後の99年にJR北九州に入社し、03年には日産自動車九州の補強選手として都市対抗野球に初出場を果たした。翌04年の都市対抗野球九州予選ではエースとしてチームの九州第一代表獲得に貢献し、予選MVPにも選ばれている。本大会でも全試合に先発し、チームを実に68年ぶりのベスト8進出に導いたのであった。

 持ち味は、力強いフォームからはなつ長い腕をしならせての最速140キロ超の速球と、切れのある変化球。この1シーズンで一躍社会人球界屈指の左腕として名を挙げることとなり、04年のドラフトで中日に自由枠で入団したのである。

 このときの中日は、落合博満監督が就任1年目でリーグ優勝という快挙を成し遂げた年であった。29歳でプロ入りした樋口は当然、即戦力で、“投手王国・中日”のローテーションの一角を担うものと期待されていた。

 ところがプロ入り後はヘルニアに悩まされ、ルーキーイヤーの05年には1度も1軍登板することが出来なかった。オフには年俸が1500万円から800万円と、野球協定に定められた下限を遥かに下回る減俸となってしまったのである。これは新人選手としては異例のことだった。その後も1軍で登板することが1度もないまま07年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。04年の中日のドラフト指名選手で唯一、1軍出場がないという現役生活となった。引退後は2軍総務として球団に残っている。

 もうひとりは落合GM時代の選手、14年ドラ1右腕の野村亮介だ。11年に高校卒業後、三菱重工横浜(現・三菱重工East)に入社。アマチュア時代の野村は当初、注目されるほどの選手ではなかった。だが、社会人3年目にフォーム改造に取り組んだことで最速149キロの直球と多彩な変化球を手に入れ、スカウトに注目されるように。なかでも中日の落合GMは“連投しても球威が落ちない点”を高く評価。その期待は背番号にも表れていて、杉下茂や権藤博、星野仙一に小松辰雄らが背負っていた中日のエース番号20を受け継ぐこととなるのである。

 しかし、そんな球団の期待に応えることは出来なかった。ルーキーイヤーには6月に1軍初登板を果たしたものの、1回を投げて被安打4、与四球1で3失点を喫してしまう。

 その後も2試合に登板する機会が与えられたが、チャンスを活かせず。シーズンが終わってみると、防御率10.13という散々な結果に終わってしまった。16年以降は1軍登板を果たすことが出来ず、3年目の17年オフに戦力外通告されてしまった。プロ3年間で登板わずか3試合、2回2/3を投げて被安打8で、勝ち負けつかず。失点6、自責点3で防御率10.13という成績であった。現役引退後はチームの打撃投手を務めている。

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