弁護士「小室圭さん」の未来 ケント・ギルバート氏は「事務所の東京支店開設を命じられるかも」

国内 社会 2021年10月09日

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ビジネスセンス

 なぜケントさんは生き残れたのか。まずは日本語という武器があった。1975年に開かれた沖縄海洋博にスタッフとして参加したことなどから、日本語が堪能だった。ベーカー&マッケンジーに就職が決まると、司法試験の結果が出る前に東京勤務を命じられ、来日した。

「どれだけ法律に精通していても、それだけでは全く評価されません。企業の担当者は常に『目の前の弁護士はビジネスセンスを持っているのか? 私たちの仕事のことをどれだけ理解しているのか?』という観点でビジネスパートナーに選ぶかどうかを決めます」(同・ケントさん)

 法律はあくまでも手段。法律を使ってクライアントの業績が伸びるよう助言できるかが勝負ということなのだろう。

 つまり、訴訟対応だけでメシを食えるような世界ではないということだ。事務所に入って3年以内に新規のクライアントを獲得し、所属部門の売上を伸ばさなければ退職させられる可能性が極めて高い。

「私がベーカー&マッケンジーを辞めさせられなかったのも、東京で最も大きなクライアントを担当していたからです。私が見つけ出した会社ではなく先輩の弁護士が獲得したのですが、転職で私が引き継ぎました。私はできるだけ仕事を早く、丁寧にケアすることを心がけると、ビジネスセンスも含めて高く評価してもらえたと思います」(同・ケントさん)

生き残る方法は1つ

 小室さんにとっても非常に有益な経験談かもしれない。だが、時代が変わったことには注意が必要だという。

「私が司法試験に合格した時、ニューヨーク州やカルフォルニア州の弁護士資格を持ち、なおかつ日本語が喋れて日本で法律業務をしたことがある人間となると、全米で5人もいなかったと思います。私は非常にニッチな得意分野を持ち、それもあって生き残れました」(同・ケントさん)

 今のアメリカでは、そもそも日本人の弁護士が多数在住し、州の弁護士資格を取得して両国で働いている。アメリカ人で日本語を喋る弁護士も珍しくはない。ケントさんが東京で働いていた時よりも、より多くの競争相手に小室さんは打ち勝つ必要がある。

 小室さんにアドバイスするとしたら「既に弁護士としての競争は始まっています。それを自覚することが何よりも大事です」と言う。

「弁護士になっても、誰でも最初は助手のような仕事をさせられます。私にも経験がありますが大変な仕事です。文書と資料の作成に忙殺され、帰宅できないことも珍しくありません。しかし、助手の仕事だけを必死にやっているようでは競争に敗れます。膨大な仕事を何とかこなしながら空き時間を確保し、助手の時からクライアントを獲得するよう動かなければダメです。とにかくクライアントを獲得して売上を伸ばすことでしか生き残れません」(同・ケントさん)

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