「八百板卓丸」って誰? トライアウトで巨人入り、1軍初打席ヒットの苦労人人生

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楽天に入団するも…

 この八百板に興味を示したのが、地元の東北楽天ゴールデンイーグルスだった。同球団のスカウトは「基礎体力が高く、特に走塁技術を含めた走力が魅力。ヒットを打つ嗅覚も持ち合わせており、プロでもトップクラスになれる素材だ」と高く評価。14年のドラフト会議で育成1位ながら指名され、プロ入りを果たすこととなった。

 こうして始まったプロ野球人生1年目の15年は2軍で打率2割3分に終わったものの、出塁率は4割と高い数字を残した。プロ2年目は2軍で70試合に出場し、打率2割6分2厘、出塁率3割5分5厘をマーク。さらにオコエ瑠偉に代わってオフのアジア・ウインターリーグに出場し、31打数12安打の打率3割8分7厘と好結果を残した。

 するとプロ3年目の17年7月末に育成選手から支配下登録されることに。背番号も112から95になる。この年、1軍登録こそなかったものの、2軍では105試合に出場し、打率はリーグ2位の2割8分1厘をマーク。シーズン終了後、背番号が57に変更されることが発表されるなど、飛躍の1年となったのだった。

 待望の瞬間が訪れたのはプロ4年目の18年4月だった。ついに1軍初昇格を果たしたのだ。27試合に出場、プロ初安打・初盗塁を記録するなど、38打数7安打の打率1割8分4厘と1盗塁という数字を残したが、打点と本塁打をマークすることは出来なかった。

 翌19年は球団オーナーの三木谷浩史から「下の名前にした方が人気が出る」と言われたこともあり、登録名を“卓丸”にして臨んだものの、1度も1軍出場はならず。待っていたのはこのシーズン限りでの戦力外通告であった。

“卓丸”の由来

 それでも現役続行を目指し、トライアウトに参加。チャンスを待つことに。そこへ声をかけたのが読売だったのだ。育成契約ながらプロ野球人生の続行が決まったわけである。

 移籍後最初のシーズンとなる20年は2軍で70試合に出場し、キャリアハイとなる8本塁打にリーグ5位となる打率3割1分3厘の成績を残すことに。これが八百板にとっては実に大きかったのである。

 21年シーズンは春季キャンプを2軍で迎えるも、“超積極的打法”を武器に実戦で結果を残し、途中から1軍に合流。キャンプ中の2月16日についに支配下契約を勝ち取ることとなったのだ。このとき原辰徳監督と並んでの取材ではまぶしいばかりの笑顔を見せている。新しい背番号は51で、原監督からは「イチローに一歩でも近づいてほしいとの願いを込めました」と期待を寄せられていた。

 その日から7カ月後の9月15日の対横浜DeNA戦で見事、期待に応えてみせた。シーズン佳境で巡ってきたチャンスで、次にまたいつあるかわからないチャンスできちんと結果を残したのである。初の東京ドームのお立ち台で、「今日登録されて、やっとチームの一員になれた気がします。本当にうれしい気持ちです」と声を弾ませた。苦労がついに報われた瞬間であった。

 卓丸という珍しい名前の由来は、偉大な球団OBの江川卓の“卓”と白球を表す“丸”から。となれば、読売ジャイアンツとは運命の糸で結ばれていたのかもしれない。9月25日現在でチームは3位。逆転優勝の起爆剤となることを期待したい。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年9月27日掲載

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