「いつ死んでもいいのかな…」 「熊谷6人殺し」遺族が憤る「加害者天国ニッポン」

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「紺は暗闇で黒く見える」

 加藤さんが特に精神的にこたえたのは、刑事裁判での二審判決が出た時だった。

 裁判員裁判となった一審のさいたま地裁は、ナカダに死刑判決を言い渡したが、二審の東京高裁はこれを破棄し、無期懲役に「減刑」する判決を下したのだ。

 裁判員が悩み抜いた末に導き出した死刑判決が高裁で破棄されたケースは、2009年に裁判員裁判制度が始まって以来、これで7件目。市民感覚が軽視され、結局はプロの判断が優先されるのであれば、制度の意義はどこにあるのか。あらためて「司法の矛盾」を突き付けた一連の刑事裁判の争点は、統合失調症に罹患していたナカダの刑事責任能力の有無だった。

 ナカダは犯行前、「黒いスーツ姿の男たちに追われている」との妄想を強め、その追跡者から逃れるために殺害に及んだ可能性が指摘されていた。しかし一審判決は、「そうした精神症状としての妄想の影響は限定的で、完全責任能力を有していた」と判断し、死刑判決を下した。

 これに対し、二審判決は、「各犯行は妄想や精神的な不穏状態に大きく影響されていた」とし、ナカダの心神耗弱を認定。一審とは異なり、限定責任能力しかなかったと判断されたのだ。

 加藤さんのもう一人の代理人、上谷さくら弁護士は、両判決をこう解説する。

「一審では丁寧に事実認定が行われ、責任能力が認められた。ところが二審の審理はたったの3回で、合計数時間。証人も鑑定医の一人だけで、ほとんどが書類上のやり取りでした。つまり一審と二審で事実認定はほぼ同じで、その法的評価が変わっただけなんです。喩えるならば、紺色が紺色である事実に変わりはないのに、暗闇では黒に見える。それだけのことで、死刑から無期懲役になってしまった印象です」

 中でも不服なのは加藤さんの長女にナカダが行った性的行為について、二審判決は、「欲望を満たすため」という一審の解釈を紹介するに留まり、高裁独自の価値判断を示さなかった点だ。

「性的行為は、追跡者に追われているという被害妄想とは関係がない。ところがその説明がなされておらず、到底納得できる判決ではありません」

 加藤さん自身も東京高裁の法廷で判決を聞いた時は、

「ええ、なんで?」

 と耳を疑ったという。

「でも検察が最高裁に上告して、当初の求刑通り死刑に戻されるかなという期待はありました」

 しかし19年12月、検察は最高裁への上告を断念。その理由は、「適法な上告理由が見出せない」という曖昧なもので、何度説明を受けても全く頷けなかった。

 検察庁の一室でその一報を告げられた当時の胸中を、加藤さんが振り返る。

「あの時ばかりは、検察は一体、何のために存在しているのかと思いました。もはや被害者の味方ではありませんね」

 警察だけでなく、検察も被害者を見捨てるのか。

 その場に同席していた上谷弁護士も、「要約するとやる気がないというふうにしか聞こえなかった」と検察側の対応を非難し、こう言葉を継いだ。

「弁護士の立場からすると、上告理由は何とかなります。聞くところによると、東京高検は上告したかったが、最高検が引き取らなかった。判断が分かれたのなら、上告すべきです。そもそも最高検は、検事正など次のステップへ向けた“待機ポスト”で、面倒な案件を抱え込みたくない検察官がいるといわれています」

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