健康な人の便を腸に移植? 「生活習慣病」「難病」に光明

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提供料は1回4千円

「なにか既往症のあるドナーの便を移植したら、その病気も移行してしまう恐れがあります。肥満症のドナーの便を移植したら、その患者も肥満になったケースが報告されています。そのため、ドナー候補は、健康診断、血液検査、腸内細菌検査、既往症の確認など、厳重な審査が必要です」

 さらに、腸内フローラには、患者の腸内に定着しやすい組み合わせと、しにくい組み合わせがある。

「石川准教授の潰瘍性大腸炎患者への便移植では、兄弟姉妹の組み合わせがもっともいい成績を上げています。なぜ、親子でも夫婦でもなく、兄弟姉妹なのか――。おそらく幼少期に、食生活などの生活習慣が似ていたからではないかと考えられます。自宅はもちろん、同じ幼稚園や学校に通っていれば、同じ給食を食べて育ちますし、周囲の環境も似ています。そのため兄弟姉妹の腸内環境は、親子や夫婦よりも似ていると考えられます」

 そして、便移植でもっとも定着しやすいのは、もちろん自分自身のうんちだ。

「ただし、病気になってからでは手遅れです。そこで、健康なときの便を保存する技術が研究されています」

 自分史上最高のうんちを保管しておけば、その後病気になってしまったとしても便移植に利用できる。その自分史上最高のうんちは、いつのものなのだろう――。

「それは食生活をはじめ、生活習慣によるので、人によって異なります。そのため、定期的に便を採取し検査をする必要があります。私自身、1カ月に1度、自分の便を採取して分析しています。私の子どもの便も生まれたときから採取・保存・分析しています。腸内フローラのデータを可視化できると、それをいい状態に保ちたい気持ちになりますね。その結果、自ずと腸内フローラが喜ぶものを食べるようになりました。私の場合は毎日、丼1杯の野菜を食べますし、ヨーグルトなどの発酵食品や海藻類も大好きです」

 福田さんはうんちを保存する技術も開発した。慶應義塾大学と東京工業大学のジョイントベンチャーで、腸内フローラを調べることでさまざまな病気の予防法や治療法を研究開発している「株式会社メタジェン」で保管している。

「3年の研究開発の末、便を常温で保存する技術の開発に成功しました。“糞便の保存方法”という名称で特許出願し、20年に権利化しています。便は冷凍保存もできます。しかし、それには大量の冷凍庫を用意しなくてはいけません。手間もコストもかかります。常温保存の技術があれば、食習慣の異なる世界中の人の便を集めて研究開発をすることも可能です。日本国内なら専用のキットを使って郵送することもできます」

 大腸内視鏡を使った便移植ではなく、腸内細菌をカプセルに入れて経口摂取する技術の開発も行われている。

「人間ドックなどで経験したことがある方はわかるかと思いますが、大腸内視鏡は侵襲性が低いとはいえ、下剤を飲んだり、肛門から内視鏡を入れたりと、それなりに大変です。一方、便移植ではなく腸内フローラのカプセルをサプリメントのように経口摂取できれば簡単です」

 ただし、腸内フローラのカプセル化には越えなくてはいけないハードルも多い。

「便の中には、治療に役立つ菌もいれば症状を悪化させる菌もいるので、判別の必要があります。一方、良い菌だけをカプセル化すればいいのかというと、そんなに単純でもありません。良い菌だけを集めても患者さんの腸内で機能しないこともあります。複数の菌の相乗効果でいい働きをしているケースもあるのです。さまざまなパターンが想定されるので、カプセル化を実現するにはものすごい数の組み合わせを試さなくてはいけません」

 福田さんが代表取締役を務めるメタジェンでは、腸内フローラを活用した医療・ヘルスケアの可能性を多方面でさぐっている。そこには大きなビジネスチャンスがあり、さまざまな企業と連携している。

「米国ではすでに、便の採取活動が行われています。健康な人をリクルートし、便移植用の便を集める。提供してくれたドナーには、1回につき約4千円が支払われているようです。ただし、健康に見えても、腸内細菌を調べると何らかの問題が見つかることもあり、最終的に便移植のドナーになれるのは、集まったボランティアのうち4%ほどだそうです」

 こうした活動を行うベンチャー企業は加速度的に増えている。日本でもうんちのビジネスが拡大するはずだと、福田さんは言う。

「今、自分史上最高の便や質の高い便をストックして供給する“便バンク”を作りたいと考えています。更にはがん患者向けや糖尿病患者向け、潰瘍性大腸炎患者向けなど、用途ごとに便を提供する時代が来るかもしれません。また、健康な腸内フローラを持っていれば、米国のケースで考えると、1日1回単価4千円の便を毎日提供することで、1カ月で12万円を得られます。年間146万円の収入になる。いい副業だと思いませんか。ただし、質の高い便を提供するには、質の高い食生活を送らなくてはいけません。例えば食物繊維が豊富な野菜や海藻類、穀物を多く食べるようになるでしょうし、良い腸内環境を維持するために抗生物質の安易な使用は控えるようになるでしょう。つまり、副業になると同時に自分の健康も維持できるようになる。一石二鳥です」

 それどころか、大きな社会貢献にもなる。

「生活習慣を整えて良い腸内環境を維持できれば、自分が健康になるだけでなく、その腸内フローラが他人の病気の治療薬や健康維持のためのサプリメントになる可能性もあります」

 現時点では便移植の実用化はアメリカが先行しているが、今後は日本でも実用化に向けた動きが加速するだろう。

「便には自分の腸内フローラが含まれており、その情報を活用して自分の健康に役立てたり、薬として使うことで大切な人を助けたりできるかもしれない。それほどの価値が便にはあることから、私は便のことを“茶色い宝石”と呼んでいます」

福田真嗣(ふくだしんじ)
慶應義塾大学先端生命科学研究所特任教授。株式会社メタジェン代表取締役社長CEOを兼任。1977年茨城県生まれ。明治大学大学院農学研究科博士課程修了。2013年文部科学大臣表彰若手学者賞受賞。15年文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学技術への顕著な貢献2015」に選定。専門は腸内環境制御学、統合オミクス科学。

神舘和典(こうだてかずのり)
ライター。1962年東京都生まれ。著述家。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数。共著に『うんちの行方』(いずれも新潮新書)。

週刊新潮 2021年9月9日号掲載

特集「トイレから見える最新研究 自分史上最高の『うんち』が特効薬」より

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