千葉真一さん“最期の瞬間”を友人が明かす 「親子揃って目を赤く腫らしていました」

エンタメ 週刊新潮 2021年9月2日号掲載

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《精進院眞道法禎居士》

 8月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため息を引き取った千葉真一(享年82)の戒名だ。日本のアクション俳優の草分けであり、ハリウッドでも活躍した“不死身の先駆者”の知られざるコロナ闘病と、その破天荒な人生に翻弄された家族の物語をお届けする。

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「22日、千葉さんの遺骨に手を合わせてきました。遺影を前に“俺のほうが先だろ。勝手に逝っちまって、残された俺はどうすればいいんだよ”と問いかけた。100歳まで生きると思っていた千葉さんの突然の訃報に、いまも“嘘だろ!?”との思いが消えない。人生の道標を失った気持ちです」

 沈痛な面持ちでそう語るのは、俳優の岡崎二朗氏(77)だ。東映に入社した時、「教育係」として現れたのが千葉であり、以来、58年に及ぶ交流を続けてきた“盟友”だ。

 1959年、東映ニューフェイスに合格した千葉は、岡崎氏の「4年先輩」に当たる。68年、テレビドラマ「キイハンター」主演で人気を集め、その後も映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」や「戦国自衛隊」などに出演し、国民的スターに。また米映画「キル・ビル」に出演するなど、「サニー千葉」として海外でも多くのファンを獲得した。

「“肉体が俳優の言葉”を信条とし、80歳を超えても毎日トレーニングを欠かさなかった。健康に自信があったのが仇(あだ)となったのか、コロナワクチンの接種をずっと拒否し、代わりに自分が広告塔を務めたこともある“水素サプリメント”を1日30錠、病院に運ばれる直前まで飲んでいました」(20年来の知人)

 岡崎氏もこう続ける。

「7月初めに二人で食事した時も“二朗ちゃん、ワクチンだけは絶対に打っちゃダメだ。ワクチンで死んだら元も子もない”と副反応を本気で心配していました。その一方で“俺は水素を飲んでるからコロナには罹らない”と豪語していた」

 そんな千葉に異変が生じたのは7月末。普段は見られなかった咳が頻繁に出るようになったという。8月3日深夜になると、“38度を超える熱がずっと下がらない。PCR検査を受けようと思う”とのメールが複数の知人に送られる。

 メールを受け取った友人の一人が話す。

「翌日に“やっぱり陽性だった”と千葉さんから電話がありました。この時はまだ声に深刻さはなく、陽性診断後も千葉県君津市内の自宅で一人で生活していた。けれど呼吸がどうにも苦しくなり、自ら救急車を呼んだのが8日のことでした」

 入院後は酸素吸入装置を着けた状態で回復が試みられたが、“今夜が峠だそうです”と千葉からLINEが届いたのが12日。そして1週間後の午後5時26分、心肺停止に陥った――。

 臨終時、家族は誰ひとりとして、立ち会うことはできなかった。

カネと女の豪快伝説

 73年、女優の故・野際陽子と結婚。長女で女優の真瀬樹里(まなせじゅり)(46)をもうけるも94年に離婚。2年後、京都の人気芸妓だった玉美さんと再婚し、生まれたのが俳優の新田真剣佑(あらたまっけんゆう)(24)と眞栄田郷敦(まえだごうどん)(21)だ。

 玉美さんと3人の子供らには、事前に千葉から「コロナで入院した」との連絡はあったものの面会謝絶。

 危篤の知らせを受け、家族で最初に駆け付けたのは郷敦と玉美さんだったが、すでに心肺停止から2時間近く経っていたという。

「玉美さんと郷敦が病室に現れると、先に着いていたマネージャーらが部屋を出て、家族だけの時間をつくった。その後、玉美さんが病室から出て、郷敦ひとりで亡くなったばかりの父と30分ほど過ごした。病室から出てくる時、親子揃って目を赤く腫らしていました。遅れてやって来た樹里も号泣した」(同)

 真剣佑はアメリカで映画撮影中のため、帰国すら叶わず。しかし、千葉の心電図が波形を生まずフラットになった瞬間、真剣佑から病室にいたマネージャーの携帯に“親父、どうですか?”との連絡が入り、周囲を驚かせたという。

 家族の悲しみは深いが、生前、千葉の「カネと女」に振り回されもした。

 千葉は70年にジャパンアクションクラブ(JAC)を創設し、後進の育成に精力を傾けた。真田広之や堤真一らが輩出した一方で、2008年に開校した俳優養成学校をめぐっては金銭トラブルに巻き込まれ、訴訟沙汰に発展。当時の借金がいまも数千万単位で残っているとも噂される。

「再婚後、千葉さんは米ロスに拠点を移したものの、借金を重ねて映画製作などにカネを注ぎ込み、家にお金を全く入れなくなった。でも、幼子2人を抱える玉美さんは働きに出ることもできず、生活を切り詰めるなど大変な苦労をした」(親交のあった映画関係者)

 ついに生活が成り立たなくなり帰国した玉美さんは、実家に戻って京都のパチンコ店でアルバイトして生計を立てるなどしたが、15年に離婚。真剣佑の親権は千葉に、郷敦は玉美さんが引き取ることになった。

「そんな複雑な成育環境からか、真剣佑は10代の頃、よく千葉さんと大喧嘩していた。一方、郷敦のほうも俳優になって東京で一人暮らしを始めた頃、千葉さんが心配してよく彼の自宅マンションを訪ねていた。それを疎ましく思ったのか、コッソリと千葉さんの携帯にGPS機能を付け、父親が君津でなく東京にいることを確認すると、自宅に帰らなかった」(同)

 その後も本誌(「週刊新潮」)が報じた54歳年下の女子早大生との交際など、逸話にコト欠かない豪放な生涯を駆け抜けた“最後の昭和のスター”。

 千葉のマネジメント会社「アストライア」代表取締役の鈴木哲也氏が言う。

「遺骨は初七日までは君津の自宅に置き、その後はひとまず、樹里さんが引き取る予定です。子供たちは皆、千葉さんの遺志を引き継ぐと話しています」

ワイド特集「家族の肖像」より