「中田翔」巨人入り即出場のおかしさ プロ野球界の深刻な末期症状が露呈

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自分たちに非があると自覚していない

 東京五輪は、やはり国民の大きな関心事だった。そして「オリンピックは神聖で純粋なものであってほしい」という幻想をまだ日本社会が持っていた。だから、商業主義に支配され、政治家や企業の思うがままに運営される東京五輪への怒りが募った。まして、彼らの利益のためにコロナ感染リスクを高め、自分たちの暮らしや命が脅かされるなんてとんでもない。

 そこには切実な憤りがあった。

 ところがいまのプロ野球や巨人にはそんな怒りさえ抱かない。金銭問題や女性スキャンダルは枚挙に暇のない巨人にもはや誰も神聖で純粋な期待などしていない。勝てばいい、そういう対象に成り下がっているのではないか。プロ野球はもはや国民的な関心事ではない。そのことが今回の出来事で改めて浮き彫りになった。

 私は過去の過ちを反省した人に新たなチャンスが与えられる社会の方が寛容でうれしいと考えている。だが、その前にやるべきことはある。セカンド・チャンスを大義名分にして、当事者たちが都合よく利害を一致させるのでは信頼は得られない。

 野球を始める少年の激減をようやく野球界も認識するようになった。だが、なぜ激減しているかの本質は把握できていないようだ。多くの野球関係者は、サッカー人気の定着、ゴルフやテニスの人気上昇、あるいはe-sportsなどスポーツ以外の分野への関心の高まりが原因だと思い込んでいる。つまり、自分たちに非があるとはまったく自覚していない。だがそれは違う。野球に問題があるのだ。私は、少年野球・中学野球の指導に10年間携わって実感した。それは、とくに若い親たちの潜在意識の変容だ。いまも指導者たちは聞くに堪えない罵声や怒声を子どもたちに浴びせている。パワハラ指導が指摘され、だいぶ空気が変わったとはいえ、野球人たちの体質はなかなか変わらない。今回の中田移籍に際しても、栗山監督と原監督の兄弟分的な関係、迎える側の坂本と中田の友情めいた話も伝わっている。野球のユニフォームこそ着ているが、ニュアンスはどことなく任侠の世界を感じさせる。そうした男気の世界を好意的に感じる人もいるだろうが、もはや社会の大勢ではない。いまの若い親子はまさにこうした任侠チックな雰囲気を敬遠し、野球と距離を取ろうともしている。そのことに本気で気づかないと、野球界はまさに「ガラパゴス化に一直線」だ。

 巨人や原監督が、「自分たちは社会的に信望があるから、中田移籍も世間に受け入れられた」などと勘違いしているようなら、それこそお先真っ暗だ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月25日掲載

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