大谷翔平、夏の甲子園はケガで苦い思い出 10年前の帝京高校戦を振り返る

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 投げては8勝、打っては40本塁打(ともに8月19日現在の成績)をマークし、今やメジャーリーグで最も注目される選手となった大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)。“怪物二刀流”として高校時代から野球ファンの間で知られていたが、甲子園で活躍した印象はほとんどないはずだ。

 大谷は夏の甲子園に1度だけしか出場していない。2011年の第93回大会で、花巻東(岩手)の2年生だった。改めて、当時の試合を振り返ってみよう。

 花巻東の初戦は大会2日目の第3試合だった。対戦相手は、プロ注目の好投手・伊藤拓郎(元・横浜DeNAなど)を擁し、この大会優勝候補の一角に挙げられていた帝京(東東京)だった。この強敵に対し、花巻東は大谷と同じ2年生で背番号14の左腕・小原大樹を先発マウンドに送る。大谷はこのとき背番号1を背負っていたが、夏の岩手大会の開幕直前に左太ももの肉離れを負ってしまい、同大会では主にライトを守っていた。試合は帝京の先攻で始まるも、小原がいきなり捕まってしまう。3四死球と2本のヒットで2点を先制されてしまったのだ。

 だが、花巻東もすかさず反撃する。一塁内野安打と死球で無死一、二塁のチャンスを作るとここで打席に向かったのが、“3番・ライト”で先発出場した大谷であった。注目の甲子園初打席は四球となり、出塁。無死満塁とチャンスを拡大すると、2死後から6番・高橋翔飛が2点中前適時打を放ち、瞬く間に2-2の同点としたのだった。

 2回表、追いつかれた帝京はすぐに突き放しにかかる。2死一塁から3番・伊藤拓郎が右中間を割る適時三塁打を放ち、再び3-2とリードしたのだ。その裏、花巻東も2死から死球と三塁内野安打で一打同点のチャンスを作る。ここで打席に入ったのが、大谷だった。一発逆転の長打が期待されたが、惜しくもセカンドライナーに倒れてしまう。

 すると上位打線に回る4回表、帝京がさらに追加点を挙げる。1死二塁から中越適時三塁打でまず1点を奪うと、なおも死球で1死一、三塁とチャンスが広がった。次打者はプロ注目の右の強打者・4番の松本剛(北海道日本ハム)だった。この場面で花巻東ベンチが動く。ケガの影響で岩手大会での登板はわずか1回1/3と実戦不足は明らかだったが、エース・大谷をついにマウンドに送ったのだ。

大谷の苦投

 注目の初球、148キロの直球を投げ込むも、松本に捉えられ、ライトへの犠牲フライを許してしまった。その後も2死満塁のピンチを招くが、なんとか後続を断つことに成功。

 するとこの大谷のスクランブル登板が花巻東ナインの闘志に火をつけることとなる。その裏、1死三塁から詰まった二ゴロの間に1点を返すと、2番・大澤永貴が中前安打で出塁し、大谷の3打席目が回ってきた。しかも一発同点の場面である。結果は死球だったが、それでも盗塁などで2死二、三塁とすると、4番・杉田蓮人が右前へ2点適時打。この日2度目の同点劇であった。これで相手エースの伊藤はマウンドを降りることとなった。

 それでも体調が万全ではない大谷の苦投は続く。直後の5回表に2死一、二塁のピンチを招くと、3番・伊藤に三塁強襲安打を喫してしまう。しかもこの打球を弾いた三塁手と二塁走者が交錯する形となり、走塁妨害の判定で二塁走者の本塁生還が認められてしまった。さらに悪送球で1点を失い、5-7と再び2点差に。なおも2死三塁とピンチは続き、ここで打席には4番・松本。それでもこれ以上の追加点を許さないのが大谷の真骨頂だった。この強打者を左飛に打ち取り、ピンチを脱出したのである。

 この大谷の力投に打線が応えたのが6回裏だった。この回先頭の1番・太田知将の右三塁打を足がかりに無死二、三塁のチャンスを掴む。ここで登場したのがこの日、4打席目となる大谷であった。そしてそのバットから待ちに待った快音が発せられたのである。外角低めの難しい直球を逆方向に運び、レフトフェンス直撃の2点適時打となった。しかもあと2、3メートル高く飛んでいれば、ホームランという当たりだったのだ。この一撃で花巻東は3度追いつき、さらに2死一、二塁とチャンスは続いたがあと1本が出ず、同点止まり。

 これが花巻東にとっては痛かった。この拙攻を甲子園の常連校は見逃すハズはなく、直後の7回表。大谷は自らのワイルドピッチで2死一、三塁のピンチを招くと迎えた打者はまたも4番・松本だった。プロ注目の強打者はここ一番で勝負強さを発揮、大谷の投じた渾身の146キロの直球を逆らわずに右前へ運ぶ勝ち越しの適時打を放つ。この試合、帝京に実に4度のリードを奪われることとなったのだ。

 リードを許した大谷だったが、8回裏は自分の打席から始まる。一発長打が期待されたが、外いっぱいの球を見逃して三振、塁に出ることはできなかった。結局この回は無得点に終わり、わずか1点差で最終回の攻防を迎えることとなったのだった。

 9回表、大谷は1番から始まる帝京の上位打線を三飛、左前安打、三ゴロとし、2死一塁で4番・松本とこの試合4度目の対決を迎えることに。ここで大谷はこの強打者を最後の全力投球で捕ゴロに仕留め、追加点を許さなかった。そして、チームメートに同点を託したのである。

 土壇場9回裏、花巻東は1死から代打の山本英が左前安打で出塁する。さらに次打者の9番・佐々木隆貴のときに一塁代走に出た佐々木泉が帝京バッテリーの意表をついて盗塁に成功。一打同点のチャンスを作ったかと思われた。

 ところが次の瞬間だった。球審が佐々木隆貴に対し“守備妨害”をコールし、アウトになってしまったのである。打席から前に乗り出して帝京の捕手・石川亮(北海道日本ハム)の送球を邪魔したと判断されたのだ。さらに二塁に進んだはずの佐々木泉も一塁へ戻されてしまう。最後は1番・太田があっさりと二ゴロに倒れ、試合終了。こうして花巻東の、そして大谷翔平の2年の夏が終わりを告げたのであった。

 この試合で打者・大谷は3打数1安打2打点。打者としてその非凡な才能の一端を覗かせた。一方、投手・大谷は4回表の途中から救援、5回2/3を投げて被安打6、与四死球5、失点3、自責点1、3奪三振。試合中、マウンド上で何度も何度も屈伸を繰り返した。

 すべては岩手大会前に負った左太ももの痛みが原因だが、実は甲子園後の検査では骨端線損傷という大きなケガだったことが判明している。試合後に「投げられる状態ではなかったけど、チームのために投げたかった」と語った気迫の投球で、5回表にはこの日最速となる150キロをマーク。05年に駒大苫小牧(南北海道)の田中将大(東北楽天)が記録した2年生投手としての甲子園最速記録に並んだ。こんな状態でありながら150キロを出すあたり、改めて大谷のポテンシャルの高さがうかがえる。

 試合後に大谷は主将の菊池倭から「秋(季大会)、頑張れ」と励まされている。そしてこの言葉に涙をぬぐって「春、甲子園に戻って来ます」と返したのだった。この誓い通り、翌年の春の選抜で大谷は再び甲子園にその勇姿を現すこととなるのである。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年8月20日掲載

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