嘉門タツオが語る「歌ネタ秘話」 「ゆけ!ゆけ!川口浩」で本人から指摘された間違い

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 歌ネタのブームが続いている。どぶろっくら歌ネタ芸人たちの活躍は知られている通り。このジャンルを開拓したパイオニアは誰かといえば、嘉門タツオ(62)にほかならない。今も第一線に立ち続ける嘉門が懐かしい爆笑歌ネタにまつわる秘話を明かした。

 嘉門が1984年に発表した「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」は歌ネタの金字塔だ。CD化されるとオリコンの週間チャートで最高24位を記録した。

 なぜ、つくったのだろう。

「当時、『川口浩探検隊シリーズ』がザワザワしていたからですよ。『ちょっと怪しいんちゃうか』みたいに言われていた」(嘉門、以下カギ括弧は全て同)

「川口浩探検隊シリーズ」はテレビ朝日の90分特番枠「水曜スペシャル」の人気シリーズ。1978年に始まった。

 俳優の故・川口浩さんが和製インディ・ジョーンズよろしく世界中の秘境を探検するのだが、視聴者から「なんかおかしい」といった声が上がり始めていた。

 探検隊が地下トンネル内で迷いに迷った末、やっと地上に出て来たら、カメラが待ち構えていたり、密林の中でヘビがタイミング良く尻尾から落ちてきたり。

 それを初めて指摘したのが嘉門。親しい放送作家と2人でこんな詞を考え、アップテンポの軽快な曲を付けた。

♪川口浩が洞くつに入る カメラマンと照明さんの後に入る……未開のジャングルを進む 道には何故かタイヤの跡がある……大発見をしてジャングルを後にする 来る時あれだけいたヘビやサソリ毒グモ いやしない 底なし沼さえ消えている――

「動かないサソリが襲ってくる」という下りもあった。「大発見をしながら決して学界に発表をしない故川口さんの奥ゆかしさ」という下りも。完全に番組を茶化していた。

 川口さんはどう思っていたのか。実はこの歌ネタを発表する前、嘉門は大阪に来た川口さんと会い、許可をもらっていた。初対面だった。

 川口さんは紳士として知られた人なので、嘉門のユーモアを理解してくれた。

「ただし、川口さんからは1箇所だけ歌詞の内容が事実と違うと言われました。ピラニアに噛まれた川口さんの手は誰の手なんだろうという下りがあったんですが、『あれは僕の手ですよ』と言われましたので、そうしました」

 探検隊シリーズの人気は嘉門の歌ネタのヒットの後も衰えなかった。視聴者は番組の怪しさも併せて楽しむようになった。だが、川口さんの咽頭ガンなどの悪化により、1986年に惜しまれつつ幕を閉じた。

 CD化された嘉門の最初の歌ネタは1982年の「寿限無No.1!」。時事ネタに落語の「寿限無」が盛り込まれた。20代、30代の人の中には嘉門と落語という組み合わせに違和感をおぼえる人もいるかも知れないが、不思議な話ではなかった。嘉門は元落語家なのだ。

 嘉門は大阪の府立春日丘高2年時に笑福亭鶴光(73)の通い弟子となり、笑福亭笑光と命名された。期待されたものの、21歳で破門に。理由は鶴光夫人の言いつけを守らなかったからだった。

 破門後は全国を放浪した後、長野のスキー場で住み込みの長期のバイトをしながら歌ネタづくりに励む。破門前に出演していたMBSラジオ「ヤングタウン」のスタッフが応援した。

「もともと中学、高校時代にいろいろな曲を60作くらいつくっていたんですよ」

 曲づくりは芸能界入り前からお手のものだったのだ。また落語家として期待されるほどの才能があったから、ユーモラスな詞もつくれた。あらかじめ歌ネタのパイオニアになることが約束されていたような出自なのである。

 1983年につくり、CDにもなった歌ネタは「ヤンキーの兄ちゃんのうた」である。

♪ヤンキーの兄ちゃんはツバをはく ヤンキーの兄ちゃんは眉毛そる……ヤンキーの兄ちゃんは 祭になるとやたらでてくる――

 ヤンキーの生態を鋭く風刺した曲で、当時の10代、20代に大ウケだった。

 この歌ネタによって関西ローカルだった「ヤンキー」という言葉が全国区になった。それまで関東では不良のことは「ツッパリ」と呼ぶのが一般的だったが、ヤンキーが共通語となる。

「しばらくの間、『現代用語の基礎知識』に『ヤンキーという言葉を広めたのは嘉門氏』という記載がありました」

 ちなみに嘉門がヤンキーに恨みを買うことはなかった。

 1987年にCD化された歌ネタは「タンバでルンバ」。俎上に載せられたのは故・丹波哲郎さんである。嘉門が丹波さんの秘書役としてドラマで共演したことから、許しが得られ、つくられた。

♪人が死んだら 人が死んだら 何処へ行く……タタタンバでルンバ あの世はパラダイス 来世は楽し楽園 見たんか タンバ――

 当時、「霊界の宣伝マン」を自称していた大物俳優のことも思いっきり茶化した。

「丹波さんには一言だけ意見されました。『曲が暗いんだよ』って。いやー、十分明るかったんですけどね(笑)」

 嘉門は3年前、「タンバでルンバ」をセルフカバーし、アルバム「HEY!浄土~生きてるうちが花なんだぜ~」に収めた。

「久しぶりに丹波さんの言葉を並べた歌詞を歌いました。ほしたら、あの人、ええこと言ってはったんですね(笑)」

 生前の丹波さんは「明るく素直に生きなさい」「楽しく今を過ごしなさい」などと説いていた。

 CDがオリコンの週間チャートで9位を記録し、90万枚を突破した歌ネタが、1991年の「替え唄メドレー」。翌1992年の大晦日には「NHK紅白歌合戦」に初出場し、「替え唄メドレー紅白バージョン」を披露。歌ネタでの紅白出場は史上初だった。

♪キャラメル ひろたら 箱だけ~(北島三郎「函館の女」の冒頭のフシで)恋人はサンコン オースマン・サンコン ギニアから やって来た~(松任谷由実「恋人がサンタクロース」のサビのフシで)街の灯りが 全部消えたら 停電(いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」の冒頭のフシで)――

「紅白はやはり緊張しましたよ」

 北島が真横にいたせいでもあるのではないか。

 替え唄を歌う時、原曲を歌う歌手らとの間でトラブルにならないのだろうか。

「それはないです。ただしCD化する場合は原曲を歌う人や作詞作曲をされた人に許可を取らなければいけない。それで断られ、CDには出来ないケースはありますね」

 この後も「鼻から牛乳」(1992年)などを次々と流行らせた。パイオニアと呼ばれるゆえんだ。

 現在の歌ネタブームはどう見ているのだろう。

「非常にいいこと。ジャニーズの人までやり始めましたものね。それだけ歌には力があるということですよ」

 TBSが不定期に放送している「歌ネタゴングSHOW爆笑!ターンテーブル」にジャニーズWESTの神山智洋(28)らが登場していることだ。歌ネタに挑む芸人やタレントは増えた。自然と歌ネタへの注目度は上がっている。

 嘉門が注目している1組が、どぶろっく。

「おもしろいですよねぇ。レパートリーを下ネタ以外に広げてもいいと思いますけれども(笑)。あの2人、実はどんどん、うまくなってるんですよ。歌もギターも。ハモるべきところはハモっている。相当練習してると思いますね」

 嘉門はそのどぶろっくとCS放送WOWOWプラスなどの番組「歌ネタ四銃士 爆笑浪漫飛行!」(9月13日深夜2時45分)で共演する。ほかにやテツandトモ、AMEMIYA(42)も出演。同じメンバーは同19日には名古屋・御園座、同25日には東京・ティアラこうとう大ホールでライブも開催する。

「いずれは歌ネタをやる人間が一堂に会し、フェスを開催できたらいいですね。コロナ禍の間はフェスには規制がありますけど、なくなったら。笑うと免疫力がつくから体にいい」

 最後に「歌ネタでやってはいけないこと」を挙げてもらった。

「まず誰かが悲しんでいる話をネタにしちゃダメです。だから人が亡くなった話はもちろんダメですし、弱い者いじめも厳禁。人を傷つけちゃいけないんです。下から上に見上げる視線でネタをつくらないといけません」

 パイオニアの歩みは続く。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月13日掲載

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