中田翔と田中将大が一触即発!「夏の甲子園」の忘れがたき因縁対決

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 2006年夏の甲子園大会決勝で、早稲田実・斎藤佑樹(日本ハム)と駒大苫小牧・田中将大(楽天)が延長15回引き分け再試合の熱闘を演じたのをはじめ、現役プロ野球選手同士が夏の甲子園を舞台に対決したシーンは多い。今となっては懐かしい因縁対決の数々を振り返ってみよう。

まさかの押し出しサヨナラ四球

 ヤクルト・石川雅規、ソフトバンク・和田毅の両左腕が火花を散らしたのが、97年の1回戦、秋田商vs浜田だ。169センチと小柄で、秋田商入学時に軟式野球を勧められた石川は、「3年間球拾いでもいいから」と硬式野球部に入り、努力の末エースになった。この日も浜田打線から7三振を奪ったが、浜田の2年生エース・和田も負けていない。8回まで散発4安打の好投を見せ、3対1とリードして最終回を迎えた。

 だが、勝利目前の最終回に大きな落とし穴が待っていた。連打で無死一、二塁と反撃され、投前バントを和田が一塁に悪送球。さらにカバーに入った右翼手の三塁送球もそれるダブルエラーの間に3対3の同点。なおも無死三塁のピンチに、浜田ベンチは打者2人を敬遠して満塁策をとるが、和田は次打者・石川に対し、1球もストライクが入らず、まさかの押し出しサヨナラ四球に……。

「同じ投手として複雑な気持ちだった」という石川は、しばらく打席で立ち尽くしていたが、三塁走者の「走れ!」の声で我に返り、慌てて一塁に向かった。「先輩たちに申し訳ない気持ちで一杯」と悔やんだ和田は、翌98年夏、左腕の上腕三頭筋断裂の重傷を乗り越え、再び甲子園に出場。同校初の8強入りの立役者となった。

 冒頭でも紹介した田中は、駒大苫小牧2年の2005年にも、準決勝の大阪桐蔭戦で、平田良介(中日)、中田翔(日本ハム)と熱闘を繰り広げている。

 平田は前日の準々決勝、東北戦で、清原和博(PL学園)以来史上2人目の1試合3本塁打を記録。中田も1回戦の春日部共栄戦で5回途中からリリーフし、7回に決勝ソロを放つなど、投打二刀流のスーパー1年生として注目を集めた。

 この強力打線を相手に、夏の甲子園2度目の先発となった田中は、5回まで無安打無失点。その5回には、内角高めにのけぞった中田がガンを飛ばすシーンもあった。田中も「何や、お前!」とばかりに罵り返し、最後は落ちる球で空振り三振に打ち取った。

 だが、中田もやられっぱなしでは終わらない。0対5の7回、先頭の平田がこの日2個目の三振に倒れたあと、146キロ直球に詰まりながらも、チーム2本目となる中前安打を放ち、「どや!」と言いたげに一塁ベース上で田中に視線を投げかけた。

 この一打が反撃の口火となり、スタミナ切れから4失点した田中は8回途中降板となったが、駒大苫小牧は延長10回に1点を勝ち越し、6対5で逃げ切り。翌日の決勝戦では、田中が最速150キロをマークして、2年連続夏制覇を実現した。

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