中田翔と田中将大が一触即発!「夏の甲子園」の忘れがたき因縁対決

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「降板」のサインを出さず投げた大谷

 菊池雄星(マリナーズ)と大瀬良大地(広島)の対決が実現したのが、09年の1回戦、花巻東vs長崎日大だ。長崎大会準々決勝でセンバツ優勝投手の清峰・今村猛(広島)に3対1で投げ勝った大瀬良は、この日も5回まで被安打3の無失点と好投する。

 一方、立ち上がりから制球が不安定な菊池は、2回に先制ソロを許したあと、6回にも2ランを浴び、0対3とリードを広げられた。だが、腰を痛めながらも、気力で投げ続けていた大瀬良もその裏、先頭打者への四球をきっかけに2失点と崩れ、7回にもピンチを招いて降板。そして、3対4となった直後、三塁走者の菊池が重盗で同点のホームを踏む。投手戦の予想に反して、激しい点の取り合いとなった。

 長崎日大は8回、菊池に3本目のアーチを浴びせて、5対4と再び勝ち越すが、その裏、再登板した大瀬良が満塁で走者一掃の二塁打を打たれ、逆転負け。「打たれてしまった自分の負けです」と唇を噛む大瀬良に対し、野球人生初の1試合3被弾を喫した菊池も「こんなに(自分の球に)ついてくるチームがあるのか」とショックを受け、ほろ苦い勝利を味わった。

 今年投打で大リーグで活躍する大谷翔平(エンゼルス)といえば、花巻東3年春のセンバツで大阪桐蔭・藤浪晋太郎(阪神)から本塁打を放ったシーンが有名だが、2年夏にも甲子園に出場し、日本ハム時代にチームメイトになった松本剛と対決している。

 1回戦の帝京戦、大谷は岩手大会直前に痛めた左足が完治せず、「痛くて下半身が使えない状態」だったが、4点を失い、なおも1死一、三塁のピンチで、エースの責任感から登板を志願。将来を気遣った佐々木洋監督は「投げられないときは、すぐに言う」という条件でゴーサインを出した。

 打者は4番の主将・松本。大谷の初球、148キロを狙い打ちし、右犠飛で5点目を挙げた。故障を押して必死に投げる大谷の姿に奮起した花巻東打線もその裏、3長短打で5対5の同点。再び2点をリードされた6回にも、大谷が左翼フェンス直撃の同点2点タイムリーを放ち、勝利への執念を見せる。

 だが、7対7で迎えた7回2死一、三塁、大谷は再び相まみえた松本に146キロ直球を右前に弾き返され、勝負あり。それでも大谷は「降板」のサインを出すことなく、9回まで105球を投げ抜いた。日本ハム最後のシーズンとなった17年、3番・大谷の前の2番を打ったのが松本だった。これも“不思議な因縁”である。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年8月12日掲載

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