「瀬古利彦」「野口みずき」らに聞くマラソン低迷の理由 日本の勝機は?

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アフリカ勢には勝てない

 こうして日本は世界についていけなくなった。むろん身体能力の高いアフリカ勢の台頭はある。だが、低迷の要因はそれだけなのか。男子マラソンで15戦10勝の最強ランナーといわれた瀬古利彦氏はこう指摘する。

「日本人が黄金期を築けたのは、外国の選手に比べて練習量が多かったから。マラソンをやると腹を括ったら、人が見ていないときも誰より勝る練習をこなす。それが強靭な脚をつくり、記録につながっていく。そんな泥臭い練習をしなくなったことが一因でしょう」

 背景には「駅伝」ブームがあるともいう。もともとマラソン強化を目的とした箱根駅伝は87年に、続いて実業団駅伝もテレビ中継がスタート。実業団は企業の看板を背負い、強化に力を注ぐ。指導者はケガをされたら困ると練習量を抑え、マラソンを志す選手の育成は後回しにされていく。

「昔はマラソンの練習をしながら駅伝に出ていたけれど、今は駅伝のための練習が主になっている。10キロ、20キロ程度の走り込みでは、マラソンで勝てるわけがないんですよ」(同)

 では、女子マラソンはどうか。有森さんは選手自身の意識の変化を感じてきた。

「がむしゃらさというか、何を目標にするかという意識がぼやけていたような気がします。何としてもメダルを獲るといった強烈なエネルギーが薄れ、『アフリカ勢には勝てない』が口癖になっていた。プロ意識の高い海外の選手たちと比べ、日本では選手の意識改革がかなり遅れたと思います」

 監督やコーチからは、練習量をこなせない、故障しやすいという声も聞くという。アテネ後もオリンピックを目指していた野口さんも現場の変化を見ていた。

「陸連の合宿に参加し、10歳ほど若い選手と走っていると、世代の違いを感じます。私たちの世代は設定ペースなど超えて走っていたけれど、そうではなかった。ランニングコーチが速いペースで引っ張ると、ぶつぶつ言う選手もいて……」

 近年は運動生理学のデータをもとに、筋力トレーニングなどコンディショニング強化をより図ってきたが、16年リオ五輪もメダルはアフリカ勢が総嘗めだった。

「科学的データにとらわれ過ぎている気もします。やはり距離を走り込んで、鋼のような筋肉を鍛える。泥臭い練習をすることが大事だと思います」(同)

 今回の東京五輪では日本代表の選考方式が変更された。「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」だ。従来は世界選手権と国内主要3大会の結果から日本陸連が男女各3人を選出してきた。だが、各大会で条件が異なるため順位や記録で判断するのは難しく、選考で揉めることが多かった。

 日本陸連強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古氏は、変更の狙いを語る。

「今までのやり方は選考過程が曖昧になりがちだった。わずか半年ほどの大会で決めると、一回限りの好記録で代表になれることもある。『私はそういう選手よりも、練習を積み重ね、力をつけた強い選手を選びたい』と話すと、『選考会を3年かけてやりましょう。強い選手を集めて、一本化しませんか』と意見が出たんです」

 新方式では、2シーズンの国内主要大会を指定競技会とし、大会毎の順位と記録をクリアした選手が「MGC」の出場権を得る。そして日本人選手だけの少数精鋭のそのレースを19年秋に開催。上位2名を選び、残る一枠はその後の3大会で最速のランナーに与える。

「選手や監督をやる気にさせるシステムが強化につながる。MGCが現場の意識を変えたんです」(同)

 さらに「1億円」の報奨金制度も導入された。日本実業団陸上競技連合は20年3月末までに日本記録を突破した選手に1億円を授与すると発表。創設から3年後に設楽悠太が2時間6分11秒と16年ぶりの更新。続いて大迫傑が日本人初の6分台を切った。

 長年、陸連で強化に携わり、順天堂大学大学院でスポーツ健康科学を研究してきた澤木啓祐氏はこう語る。

「男子マラソンの記録向上には厚底シューズの出現が寄与しています。その効果は歩幅を増大させ、血中乳酸の増加を抑えるという2つの特色があります」

 ナイキ社が開発した厚底シューズは底にカーボンファイバープレートが入り、軽量で反発力が強い。順天堂大駅伝チームの測定結果によると、1キロ3分ペースの走行では平均3~4センチ、最大6センチ歩幅が伸びた。

「運動を持続すると筋肉に乳酸が溜まり、濃度が高まると疲労が蓄積されます。厚底は着地抵抗が少なく、脚筋に負担がかからない。乳酸も溜まりにくいのでスピードが落ちません。いずれ女子のシューズも改善され、効果が出てくるでしょう」(同)

日本に勝機はある

 東京五輪マラソン代表には、男子が中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)、大迫傑(ナイキ)。女子は前田穂南(天満屋)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、一山麻緒(ワコール)の6人が選ばれた。

 男子代表3人の実力を瀬古氏はどう見ているのか。

「大迫選手を中心に引っ張っていくと思います。彼が一番安定していて、42キロという距離を自分の体を上手く使って走る。中村選手は練習の中身が濃く、出た試合は絶対に外さない。服部選手は体が大きいのでスタミナがあり、最も馬力があると思う」

 一方、女子の選手たちは、

「最もスピードと持久力があるのは一山さん。昨年は5千、1万メートルで自己ベスト更新、マラソンは2時間20分29秒で走り、私は『野性のプリンセス』と呼んでいます。前田さんは『ど根性フラミンゴ』。足が抜群に長く、MGCも勇気ある走りで最初にゴールへ飛び込みました。泥臭い練習を黙々とこなせる人。鈴木さんは『おとぼけ秀才ランナー』。名古屋大卒の才女でおっとりしていても、集中力が凄い。本番に120%の力を出せる人です。補欠の小原怜さん、松田瑞生さんも明るくチームを支えています」

 と増田さんは期待する。

 日本勢は各監督とスタッフが情報共有して一枚岩となり、「オール・ジャパン」で闘うのも、かつてない取り組みだ。5月に札幌で行われたテスト大会を見守った野口さんも、「良きライバルとして、刺激し合えるチームになっている」と語る。

 メダルへの期待が高まるが、瀬古氏は可能性を語る。

「札幌が暑くなること。アフリカ勢は高地民族なので蒸し暑いのが嫌いです。我々は暑熱対策も相当やってきたので、最後まで粘ってあきらめないことです」

 増田さんは女子のレース展開をこう見据えている。

「アフリカの選手は記録を狙わず、メダルを獲ることが目的だから、ゆったりとしたペースで進むでしょう。日本の選手は集団で後ろにつくと、スパートされた時についていけなくなる。でも、野口さんがアテネで勝ったときは25キロの上り坂でスパートし、独走しました。チーム・ジャパンの作戦としては、5キロ、10キロと前半に比較的速いペースを作ることでアフリカの選手の足を疲れさせ、どこかでスパートする。地の利を生かし、暑さと湿度が加わった時に主導権を取ることができたら、メダルの可能性はあると思いますね」

 2021年8月、男女マラソンのゴールに「復活」の日は訪れるか。

ノンフィクションライター 歌代幸子

週刊新潮 2021年8月9日号別冊掲載

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