「地上の楽園」NYの現地ルポ ノーマスク、街中でワクチン接種が可能

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「ワンツーフィニッシュ」

 日本でいえば、東京は大手町駅の地下通路のような場所に、白いテントブースが設けられている。

 訪れた夕刻は、人の波はすでに帰路につく時間帯であり、駅通路は東京駅か新橋駅と見紛うかのように過密である。その一画に、非市民や海外からの来訪客でもワクチンが打てると噂の、PPSがあるのだ。

 並んでいる者は誰もいない。閑散とした受付の様子に、もう終了してしまったのでは、との懸念もよぎったが、それは杞憂(きゆう)だった。

 パスポートを出すと、手元のパソコンに名前など基本事項を打ち込み始め、「以前にほかのワクチンは打っていませんよね」という念押しの確認がある。もちろん、ノーだ。50歳未満の、それも企業勤めでもない私に、日本ではこの瞬間、職域接種どころか、接種券さえ届いていない。

 PPSでの流れは、日本でもお馴染みの集団検診とほぼ同じ要領だ。受付で登録が終わると、隣接するブースに通され、アレルギーの有無やアナフィラキシーの経験など簡単に問いかけられながら、すでにワクチンが1人分ずつ装填されたインジェクション(注射器)を手に取り、キャップをはずし、利き腕でないほうの腕にスッと刺す。

 まさしく、「ワン、ツー、フィニッシュ」といった手際の良さだ。

 打ってくれた女性担当者は決して医師ではない。専門知識のある薬剤師で十分なのだ。米国では常々、インフルエンザのワクチン接種が薬局で行われており、薬剤師のほうが医師より上手いことすらある。

 ワクチンが足りない、打ち手が足りない、歯科医も動員せよと、日本はことごとく「事後主義」であるのに対して、米国は「何が必要かを見定めると、そこに向かって直進的に向かっていく」(米国の大学教員)。それは、ロジスティクスと呼ばれる、軍隊における後方支援のあり方にも重なる。

 米国では法律家だけでなく医師ら医療関係者のなかにも従軍経験者は多い。専門性の高い高等教育にかかる費用は日本の比ではない。それゆえ、高卒で従軍し、奨学金を得たり貯金をしてから専門学部に進学し、資格取得に励む層は極めて多い。

 従軍経験が非常時における専門職や専門家の「基礎能力」として大いに活かされるのが、米国社会の強みでもある。

 テント内でワクチンを「ワンツーフィニッシュ」すると、また隣に移動し、15分間、その場で待機する。突発性の発作など不測の事態に備えるためである。このあたりの流れ作業は日本の大規模接種会場などとも変わらない。しかし、この「接種後待機」を終えて名前を申告すると、国籍を問わず、誰からも思わず笑みがもれる。なぜなら、世界の感染症政策を主導する、米国疾病予防管理センター(CDC)の名前が入った「ワクチン接種証明書」、通称“ワクチンパスポート”と、なんと、ニューヨーク市内のバスや地下鉄が7日間乗り放題のチケットがもらえるのだ。

 米国民は今、ワクチン接種済みの「ワクチネイテッド」と、非接種の「ノン・ワクチネイテッド」に分かれ、前者にはノーマスクの日常が戻っている。

 そして米国では、来訪客としてワクチン接種済みのかたは、ぜひ「市内周遊」をと、粋な計らいなのだ。わずか33ドル相当の7日間パスではあるが、ワクチン加速と掛け声ばかりで一向に注射器という現物が見えてこない日本に辟易した者にとっては、これぞ米国の懐の深さと、ホスピタリティを感じさせる一瞬ではないだろうか。

 残念ながら、私の前後には、日本人、アジア人らしき姿は見られなかった。空港の入国審査のときにも多く感じた、欧州人や中南米からの人間がもっぱらであった。

 CDCの名前が印刷されたワクチン証明書には、接種されたワクチンメーカーがジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)であることも明記されている。予防効果は66%とファイザーやモデルナよりも劣るとされるが、何よりも、冷蔵庫で管理ができ、とにかく「1回で接種完了」な点が魅力だ。

「感染制御」の考え方

 ワクチン接種のスタイルは広い米国内でも州によってばらつきはある。しかし、金融経済のセンターであるニューヨークにあって、1回きりで打てる意味は大きいと言う関係者もいる。

 後日、あらためてこのPPSの現場を訪れ、現場職員に話を聞くと、彼女の見立てはこうであった。

「市内では薬局でも打てるし、そうした拠点場所でのワクチン接種と、現場を移動する巡回型のワクチン接種とを併用することで、二つの流れでマンハッタンを網羅するようにできている」

 拠点型と巡回型とで、ワクチンの接種率を「点から面へ」効果的に高めようという試みなのだ。

 米国はワクチン接種の現場運用をかなり早期にそれぞれの下部組織に任せた、ということもいい方向に作用したようだ。

 たとえば、地下鉄や公共機関でのワクチン接種に当たっては、日本であれば私鉄や都営など公共交通機関との調整で頓挫を余儀なくされるだろう。ただ米国は現場がやりやすいように、いい意味で“投げた”ので、地下鉄のコンコースなど、この移動・巡回型「ポップ・アップ・サイト」が実現可能になった。ひたすらに高齢者接種にこだわり、多面、多層からのワクチン接種のスキーム策定に及び腰に見えた日本の官邸とは大違いだ。

 なお、米国の税金を用い、米国市民以外の来訪客にまでこうしたワクチン接種を行うことに心理的な抵抗はないか、と訊ねると、米国人の証券アナリストはこう言ってみせた。

「社会が安心に感じるというのは、決して自分だけでは成立しない。自分も、そして自分以外の人間もみながワクチンを接種しているという、お互いが準備済み、対処済み、という了解が社会の安心につながるのだ。だから、観光客にも米国の税金でワクチンを打つということで、米国社会の安心に寄与することにもなる。観光客はその意味で、米国社会に貢献してくれているわけだから、7日間のフリーパスはその対価として当然だろう。それに、経済を活性化させるには、ひとの流れができなければやはりダメだろう。オンラインショッピングがいかに盛況であっても、最後はひとの手で運ばれるし、人間の動きが必要になる。結局、人間の活動を確保するための手段、それがワクチンだろう」

 諸悪の根源は「人流」として、専門家や知事らが「人流を止めろ」と大騒ぎし、結局、東京五輪を無観客に追い込んだ日本が幼くみえる。米国では、州にもよるが、仮に不法移民や不法滞在者であっても、ワクチンが打てる体制が多くの地域で整っている。

 自分の命を守ってもらい、社会全体の大きな利益を守るという発想。その哲学が、米国のPPSには象徴的に凝縮されているともいえるかもしれない。移民に厳しい国である一方で、移民にも手厚いという不条理さもまた、コロナ禍にあっては国力を底支えしているといえようか。

「infection control(感染制御)」という考え方がある。米国CDCのホームページなどでも謳われているが、日本では総理会見を含め、47都道府県の知事のなかでもこの概念が口に出たことはほとんどない。昨年のコロナ禍拡大期当初、東京モデル、大阪モデルなどとテレビ報道がお祭り騒ぎを演じていたころ、日本では、山梨県の長崎幸太郎知事が、知事会見のたびに「感染制御」の考え方を打ち出していた。記憶の限りでは今日に至るまで国内での唯一の例である。生命最優先は当然の一方で、コロナ禍発生当初から「命と経済の両立」という「感染制御」の目標と方向性を明確に打ち出し、模索していたのは米国と、そして日本では、「グリーン・ゾーン構想」(飲食店などの感染対策を県が独自に認証する制度)を展開している山梨県だけであった。同県は同時期、すでに県独自で感染症対策センター(YCDC)の構想に水面下で着手し、今年4月に運用開始している。

「感染制御」をどう捉えるか。今にいたるも日本では迷走気味に見える。「果たして何のためにワクチンを打つのか」という今後の日本を占う、社会意識のあり方ともつながってこないだろうか。

 ニューヨークやワシントンといった都市部周辺の米国人に問うと、たいがい、異口同音に次のような趣旨のことを話す。

「デメリットよりもメリットが勝るから。二つを天秤にかけたとき、メリットを選ぶのが米国社会」

 なおも新規感染者数や患者数の増減だけに一喜一憂する日本のメディアや政府の姿勢とは若干、異なってみえる。

 ニューヨークに始まる米国の主要都市をアフターコロナのコミュニティ先進事例だと考えれば、そこに定着している住民意識とは何だろうか。「アフターコロナが目指すべき『感染制御』とは、『罹らないこと』ではなく、ワクチンによって『重症化や死亡のリスクを回避できる』こと」とも指摘できよう。日本人と日本社会はまだ、ワクチンを「罹らなくて済む予防機能」として誤解し、過度に期待しているのではないだろうか。

ようやく届いた接種券

 米国のある医療関係者による次の言葉は重く受け止めざるをえない。

「それぞれのワクチンによる『効果率』にある種、騙されているのではないでしょうか。アフターコロナとは、ゼロコロナの社会ではなく、コロナ耐性のある社会活動であるべきです。その点ではニューヨーカーのように『コロナに罹っても重症化して死ななければただの風邪』という考え方で、とにかくワクチンを打つのが有効です」

 そう発想できれば、米国が街角のPPSで展開するような、「冷蔵庫での管理ができて1回きり」のワクチン接種という選択肢は、大きな意義を持ってこよう。

 日本では毎年のようにインフルエンザ流行による学級閉鎖、学校閉鎖を経験してきた。今後、コロナが通年で流行することを想定した場合、より管理のしやすいワクチンと接種のスキーム、さらに「罹らないのではなく、罹っても死なないただの風邪」として社会が受け止められる方向に舵を切る。その発想の転換こそが、パンデミックから1年超を経ての、ニューヨークとトーキョーを分けた差であるとはいえないだろうか。

 なお米国滞在中、日本の自治体からようやく、「接種券」の案内が届いた。予約開始の日付を待って、ここ米国から何度も電話をかけつづけているが、もはや「会場選定」の段階からして、つながらない。

 米国では数ある薬局でワクチンが打てる。打っているのは薬剤師さんである。制度と運用の違いについて百家争鳴があるのは当然だ。しかし、日本と米国、その明暗を分けているものはデメリットよりもメリットに賭ける姿勢、そして、国民・市民を納得させられるかどうか。それが日米の政府と行政の力量の差、つまり国力の差というべきなのかもしれない。

七尾和晃(ななおかずあき)
ノンフィクション作家。1974年、米ニューヨーク市クイーンズ生まれ。英字紙記者などを経て、独立。忘れられてゆく近代史の現場に赴き、数多くの踏査ノンフィクションを発表する。天皇の戦犯訴追回避や米中国交正常化の背後で活躍した、知られざる日本人密使を描く『天皇を救った男 笠井重治』(東洋経済新報社)など著書多数。

週刊新潮 2021年7月22日号掲載

特集「現地ルポ すでに『地上の楽園』NY 世界が仰天『五輪無観客』東京との決定的違い」より

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