大島康徳、死してなお人々に勇気を 闘病中も常に社会にメッセージを発信

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 中日の主力として活躍し、2000安打を達成、引退後は日本ハムの監督も務めた大島康徳氏が逝去した。享年70。中日新聞(関東では東京新聞)夕刊に回顧録「この道」を連載しているさなかのことだった。

 6月中旬までは大谷翔平が躍動するメジャー中継の解説を務めていたから驚いた方も多かろう。だが、大島氏は2016年10月、ステージ4の大腸がんが見つかり、“余命1年”と宣告されたことを公表していた。

「大腸のがんは手術で切除したのですが、転移していた肝臓の方は抗がん剤治療を続けていました」

 と大島氏の知人が明かす。

「大島さんいわく“医者の言うことは半分聞く”。抗がん剤がきつかったようで、“医者の言うことを真に受けたら逆に早く死ぬ。話半分が丁度いいんだ”と。好きな物を食べ、行きたいところに行き、解説の仕事や少年野球の指導を続け、煙草も吸い続けていました」

 そんなこんなで気づけば、宣告から4年半が経過した。

 と、聞くとさも元気に過ごしていたように思えるが、

「“もうダメ”と何度連絡が来たことか」(同)

 連載のなかで大島氏は、“がんに対する考え方”をこのように述べている。

〈もちろん、手術で取れるのであれば、取った方がいい。でも(略)現状維持なら御の字。体の中にいても、悪さをしなければそれでいいと思っています。(略)「共存という形でもいいんじゃないでしょうか」と言いたいのです〉(7月2日付)

“がん患者だからこそ社会と関わるべし”を信条とし、ブログも熱心に更新。コメント欄にはがん患者からメッセージが多数寄せられた。

「ただ、最近のブログでは、死期を悟ったかのような記述も散見されました」

 実は大島氏が亡くなったのは、報道発表1週間前の6月30日だった。

「中日新聞はもちろん知っていましたが、家族の意向で報道はせず、その間も連載は続いていました」

 今月5日、NHKが昼のニュースで速報し、夕刊には訃報と連載が掲載された。そこにはこんな但し書きが。

〈執筆は終えており、本人・遺族の希望で連載は続けます〉

 死してなお人々を励まし続ける大島康徳氏。合掌。

週刊新潮 2021年7月15日号掲載

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