総理のスピーチライターが明かす安倍外交の舞台裏――谷口智彦(慶應義塾大学大学院教授)【佐藤優の頂上対決】

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麻生大臣のスピーチから

佐藤 当時、谷口さんは外務省にいらして、外務副報道官でしたね。

谷口 外務省には02年から05年まで高島肇久(はつひさ)さんという元NHKの方が外務報道官を務めていました。その高島さんが辞める時、当時の町村信孝外務大臣が、民間からもう一度採れと指示されたんですね。それが、私が入る前のいきさつです。谷内(やち)さん(谷内正太郎外務次官)は外務副報道官という新しい役職を用意してくださり、私の役目は、外国報道機関向けに英語で発信することでした。それで毎週2回記者会見を始めたのですが、外国の記者たちは来やしません。「間に合っている」んですね、普段の彼らは。

佐藤 私のいた頃も、国際報道官室は外遊やイベントがあった際に、俄かに仕事をやり始める感じでした。

谷口 やがて、外務大臣が町村さんから麻生太郎さんに代わります。安倍総理もそうですが、麻生さんも、家の歴史イコール日本の外交史だという生来の外政家です。次官の谷内さんをつかまえて、「日本の外交に、戦略はあるのか」と聞く。で谷内さんは「もちろんあります。いっそ大臣、月に1度スピーチしてそこを説明していただけませんか」と切り返した。麻生大臣は「あぁ、いいよ」てなもんで、その時、谷内さんが、谷口にやらせてみようと思いつくわけです。

佐藤 ではまず麻生大臣のスピーチライターになられたわけですね。外務省においてもスピーチライターは初めてでしょう。

谷口 そうですね。

佐藤 麻生さんも頭の切れる政治家です。

谷口 麻生総理(当時)について、「漢字が読めない」などと悪口をいう人がいましたが、読み違いを誘発する原稿を書くほうに責任がある。漢語ばかりの原稿を読まされると、終盤、誰でも読み違いをします。わたしは当時から、なるべく「やまと言葉」を使うよう心がけていました。

佐藤 確かにそうですね。でもワープロを使うようになって、漢字だらけの真っ黒な原稿が増えました。

谷口 何でも変換して漢字にしてしまう。

佐藤 私が現役の頃は、全部手書きで、漢字の比率を決めていましたね。ひらがなにすべきものをしていないと、突き返されることもあった。

谷口 ワープロの変換能力が、そこを改悪したんですね。

佐藤 昔はさまざまなルールがあり、外務省の答弁書には3種類の書式がありました。総理大臣用は罫紙にサインペンで書く。外務大臣用は原稿用紙。そして官僚用には21行の横書き罫紙で、2行書いて1行空ける。その空いている行に書き込みをします。

谷口 そんな証言をしてくださる方は、もはや佐藤さんくらいですね。

佐藤 徹底的に仕込まれました。また公電作りにも細かくルールがありました。そこで学んだことは作家になって非常に役立ちましたね。

谷口 インドの安倍総理演説に戻りますと、慣例として、総理が外遊で大きな演説をする場合、原稿作りは外務省に下りてきていました。外交青書(年次報告書)を書く役目の人などが、それを引き受けます。でも安倍総理が訪印する、ついてはスピーチを、という話は、外務省で演説書きを半ば専業としていた私のところにきて、それでできたのが「二つの海の交わり」です。当時の外務省には今と違ってちょっとインドを煙たがるところがあって、かえって自由に書けました。ただし「アジア概念の拡大」という着想は、政策の元締め役をしていた兼原信克さん(第2次安倍政権で内閣官房副長官補)のものです。

佐藤 これが原点にあるのですね。

谷口 このときできた安倍総理とのお付き合いは、その後、一代議士になられても、思い出したような間隔で続きました。それで、第2期政権になると官邸に入って始めたんですが、おかしかったのは、麻生外務大臣のスピーチをしこたま書いたせいで、「麻生モード」を「安倍モード」に切り替えるのに、しばらく時間が掛かりました。安倍さんは「あ、このジョーク、要らない」と言うんです(笑)。

希望のマネジメント

佐藤 谷口さんがスピーチライターとして関わるようになって、日本外交は変わった気がします。

谷口 安倍総理が、変えた。それには明確な言葉が必要だった。たまたま私がそこにいた。そういう流れだと思います。

佐藤 安倍政権は、自由、民主主義、法の支配などの価値観を前面に押し出して「価値観外交」をアピールしてきました。

谷口 もともと日本の外交は、軍事力にモノをいわせることはできません。経済が「武器」でした。その経済も90年代から落ち目になって、ODA(政府開発援助)の規模なんか、かつてに比べると見る影もない。そこであの時期、言葉を磨く必要が生まれます。中国との違いを明確にしなくてはいけないし、日本とは何か、何を大切にする国か改めて考え、口にしなくてはならなくなりました。

佐藤 具体的な政策としては、その価値観を共有するアメリカとの同盟を基調にして、その他の国とは勢力均衡の中でさまざまな可能性を見ていくということですよね。

谷口 安倍総理は、日米同盟を、冷戦の遺産でなく未来に向けて一気に上書きし、アップデートした。日本の安全保障に100年の基礎を与え直したのだと思っています。

佐藤 安保法制もそうですが、安倍総理が考えていたのは、やっぱり独立国として筋を通さなきゃいけないということだと思います。ただ私は、第1次安倍政権の「自由と繁栄の弧」はよくわからなかった。

谷口 戦後日本外交初の、といっていい、価値観の旗をはためかせに行った試みです。ちなみに税金は、出張旅費くらいしかかけていません。谷内外務次官は、バルト三国や東欧圏を回って日本への好感を確かめる中、ロシアの正面玄関に、旗を立てる方法を思いつくんです。コーカサス地方なども含めて、ですね。

佐藤 まったく逆効果だったと思いますよ。ユーラシア大陸の外周で成長しつつある新興民主主義国をつないでいくということですから、ロシアは完全に封じ込め政策ととらえていました。やれるならやってみろ、という感じでしたね。それが18年以降の第2次安倍政権は、ロシアにも中国にも、現実的な方向に舵を切っていった。

谷口 外交というのは、スカッと気持ちよくなれませんね。無限に続く憂鬱に耐えながら、どこまで筋を通すか、そのバランスですね。

佐藤 谷口さんは安倍政権を「希望のマネジメント」という言葉で総括しておられますね。

谷口 日本は、経済成長のための資本装備も生産性も停滞し、人口も減るいっぽうです。多くの人は、日本の未来は暗いと思っているでしょう。

佐藤 特に若い世代は成長の時代を知りません。

谷口 そんな状態で、若い男女が家族を作るか、企業家が投資をするか。いちばん必要なのは「希望」なんだと、安倍総理は見定めたんです。それが、アベノミクスです。だから安倍総理は、日本のコマンダー・イン・チーフ(最高司令官)に加え、チアリーダー・イン・チーフ(最高応援団長)を演じざるを得なかった。内外どの演説にも、少しでも国民に希望をという気持ちがこもっています。

佐藤 なるほど、チアリーダーですか。

谷口 安倍総理はロンドンやニューヨークのスピーチで、どんな日本企業のトップよりも堂々たるインベスターリレーションズ(投資家向け広報)をやった珍しい総理大臣です。外国投資家にも、日本にはまだ大いに希望があると思って、日本株を上げてもらわないといけませんからね。

佐藤 本来は東京オリンピックもその一つでした。

谷口 そう思って、安倍総理は必死の外交をやりました。19年のラグビー・ワールドカップの感動から、そのまま続いて開けるはずだったのですけどね。でも、競技者本位の大会になって装飾がない分、スポーツの美や、汗と涙にむしろストレートに感動できそうな気もします。

佐藤 終わらなかったパンデミックはない。

谷口 いつかは必ず良くなるのだし、落ち着いていたいですね。

谷口智彦(たにぐちともひこ) 慶應義塾大学大学院教授
1957年香川県生まれ。東京大学法学部卒。85年日経マグロウヒル社入社。「日経ビジネス」記者として約20年勤務、ロンドン特派員時代にロンドン外国プレス協会会長。2005年外務省外務副報道官、広報文化担当参事官。13年内閣官房内閣審議官、14年内閣官房参与(20年9月まで)。同年、現職に就任。

週刊新潮 2021年7月1日号掲載

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