大島康徳さんが逝去…見事だった熱血野球人生 「超美技」「奇跡の大逆転」、そして「執念の采配」

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 2017年2月にステージ4の大腸がんであることを公表し、闘病を続けてきた野球解説者の大島康徳さんが6月30日、死去した。享年70。現役時代は中日、日本ハムの中心打者として通算2204安打、382本塁打を記録。2000年から日本ハム監督として3年間指揮をとった。そんな大島さんの熱血野球人としての人柄がにじみ出るような選手、監督、解説者時代のエピソードを紹介する。

左胸にアザ

 83年に本塁打王に輝くなど、強打者のイメージが強い大島さんだが、時には守備でも、名手も顔負けの超美技を演じている。中日時代の1985年5月4日の阪神戦。3対0とリードした中日は、3回に無死満塁のピンチを招き、次打者・佐野仙好に左翼ラッキーゾーンへの大飛球を打たれた。

 レフトを守っていた大島さんは「ホームランと思ったよ。ダメだと思った」と覚悟したが、それでも背走しながら必死にグラブを差し出し、後ろ向きの姿勢のまま、ラッキーゾーンの金網を飛び越えるように高くジャンプした。

 すると、逆転満塁本塁打になるはずだった打球は、見事グラブの中に収まり、犠飛による1失点で食い止めた。左胸には、金網に激突した際にできたアザがくっきりと残り、まさに体を張ったスーパーキャッチ。「完全に入っていたよ。でも、僕は守備の人じゃない。本当はあんな打球を打ちたいよ」と守っていても“気分は打者”だった。

 翌日の新聞で“1年に1度の超美技”と報じられた大島さんは、翌5日の阪神戦でも、初回、先頭の真弓明信の左翼ポール際への大飛球を、グラブをフェンスの中に突き出すようにしてキャッチ。先制ソロを阻止し、“2日連続の超美技”と称えられた。

病院から直行

 日本ハム監督時代に3年連続で退場になるなど、指揮官としても熱血エピソードに事欠かない大島さんだが、2000年6月21日のロッテ戦では、入院中の病院から駆けつけ、執念の采配を見せた。

 話は前日のロッテ戦に遡る。日本ハムが10対4とリードした7回2死一、二塁、ロッテの3番・大塚明が左翼ポール際に大飛球を打ち上げた。

 ボールはスタンドに入ったあと、グラウンドに跳ね返ってきたが、VTRには、打球がポールの約1メートル左に落ちるシーンが映し出され、明らかにファウルだった。

 ところが、山崎夏生三塁塁審の判定は「ホームラン!」。大島さんはベンチを飛び出し、21分間にわたって抗議したが、判定は覆らず、「試合の進行を妨げた」として退場処分を受けてしまう。

“疑惑の3ラン”で3点差に迫られた日本ハムは8回に2点を追加し、12対7で勝利したものの、試合後、大島さんは嘔吐と頭痛を訴え、救急車で病院に搬送された。診断結果は、神経性の急性胃炎。楽勝ペースの試合が誤審から一転予断を許せない展開になったことが影響したとみられる。

 翌日のロッテ戦も周囲は休養を勧めたが、大島さんは「大事な時期だから」と制止を振り切り、病院から東京ドームに直行。この執念がナインの闘志に火をつけ、5対2の快勝で、首位・西武に0.5ゲーム差と肉薄している。

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