大沢悠里×生島ヒロシ 伝説のラジオマンが明かす「ゆうゆうワイド」30年の秘話

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 テレビの凋落が叫ばれて久しいが、どっこいラジオは元気である。コロナ禍で荒んだ人々の心を潤し、支持を集めてきたわけは、話し手と聴き手の「近さ」に他ならない。「長寿番組」を牽引してきた二人のラジオマンが誌上で語り合い、ラジオの魅力を読者に届ける。

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大沢 俺は生島君のことを「腹話術の坊や」って、よく呼んでいたっけ……。

生島 そんな雰囲気だって言われていました(笑)。

大沢 「僕はね、僕はね」って話すのが口癖だったから。言いたいことを言い合えたのも、お互い長く仕事をやってきた賜物だね。

〈TBSラジオの名物長寿番組ながら、2016年4月に放送開始30年の節目で惜しまれつつ終了した「大沢悠里のゆうゆうワイド」。平日朝8時半から4時間半の生放送で、テレビの視聴率に相当する「聴取率」では、全局全番組で長年トップの座(関東地区)を占めてきた。そんな人気番組の進行役を務めた大沢悠里アナウンサーと生島ヒロシアナは、TBSの局アナ時代の先輩、後輩にあたる。

 現在、大沢アナは毎週土曜15時から2時間の生放送「大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版」を担当するが、生島アナは平日朝5時からオンエアされる「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(TBSラジオ)を23年にわたって続けて、今年4月に放送6千回を達成した。お馴染みの声でニッポンの朝に活力を与えてきた二人が、長寿番組の知られざる舞台裏とラジオの魅力をとことん語り尽くす。〉

生島 僕のラジオ番組は午前5時から6時半までオンエアしていますが、あの頃、悠里さんは8時半からスタートでしたから……。

大沢 朝6時にはスタジオに来ていたよ。

生島 僕の喋った内容を隣の部屋で全部聞いているもんだから、もう試験官に毎日チェックされているつもりでやっていましたよ。放送が終わると「今日はよかったな」と褒めてもらったり、「だめだな、こりゃ」とかダメ出しを食らったりしていました。

大沢 いちいちそんなこと言わないよ。「ご苦労、ご苦労」ってねぎらってたじゃない。いつも私のいる部屋の壁の向こうで生島君が喋ってたわけだけど、僕はスタッフより先に来ないとダメな性分だったから、入りが早かった。

生島 僕が恵まれていたのは、大沢さんみたいな先輩に学びながら仕事ができたこと。今の番組も始まった当初は大変で、なにせ“知の巨人”と呼ばれた榎本勝起(かつおき)アナの後番組を任されましたから。

大沢 榎本さんは喋りも明快で僕の先生でした。昭和38年にテレビで初めてアメリカからの衛星中継をやった時に、ちょうどJ・F・ケネディ大統領の暗殺事件が起きてしまう。一報を特別番組で伝えた榎本さんは、45分間を原稿なしで全部アドリブでつないだ。

生島 歩く百科事典のような人で、朝のラジオも霞が関の官僚とか凄い人たちが出勤前に聞いていた。その後釜を務めた僕は「話し声がうるさい」とか「テンポが速い」ってけちょんけちょんに言われてしまった。当時はテレビで注目されて意気揚々とラジオにやって来たつもりだったんですが、本当に叩きのめされました。

大沢 よく耐えたよね。

「言っちゃいなよ」

生島 その時の大沢さんたら喜んじゃって、「榎本さんの後任なんて、俺だってやらねぇんだからバカだな」って。だけど、大沢さんからは未だにアドバイスを頂ける。この齢になると周囲から何も言われなくなりますが、唯一、大沢さんが「喋りが速くなってるぞ」とか折に触れて言ってくれる。どんなに中身がよくても終わる番組はあるし、自分がプロデューサーになって、営業マンや宣伝マンになれとも教えていただいた。それでスポンサー集めを必死にして、一時期はTBSラジオを扱う広告代理店のベスト3にウチの事務所が入った。1位電通、2位博報堂で3位が生島企画室。今の番組を続けてこられたのも悠里さんのおかげで、寝る前に手を合わせてる。神さま、仏さま、悠里さまって(笑)。

大沢 やっぱりラジオは所帯が小さいから、ひとりで宣伝マンや営業マンも務めないといけない。私も行く先々で名刺を配り歩き口コミを広げていったし、飲み屋で隣り合わせになった人にお願いして何件もスポンサー契約を取り付けました。商品紹介のCMなら、必ず自分で食べたり使って納得したものに限っていましたけどね。そしてラジオマンは情報を発信する報道マンじゃないといけない。乗った電車が止まったなら、すぐ報道の部署に連絡するとか。話は変わるけど「ミッチー・サッチー騒動」なんて、私の番組がきっかけです。

生島 そうだったんですか。

大沢 レギュラー出演していた浅香光代さんが辞める、最後の日でね。「いつも野村沙知代さんの話をしてたじゃない。言っちゃいなよ」って水を向けたら、彼女が「最後だから」って大批判を始めちゃったの。

〈1999年3月31日の放送で、浅香はサッチーについて「ふざけんじゃないってんだよ!」と怒りをぶつけ、「テレビの若い人や運転手を怒鳴るなど弱い者イジメが過ぎる」「あんな女を番組に起用するから増長する」などと罵った。3年前の衆院選に出馬し落選したサッチーが繰り上げ当選する可能性が出てきたため、政治家として不適格ではないかと浅香は世に訴えたのだ。〉

生島 きっかけは「ゆうゆうワイド」だった!

大沢 放送後、TBSのフロアにカメラマンがたくさん集まってきて、浅香さんも俺もびっくりしちゃって。それから騒動が始まっていった。もともと二人は仲良くて、芝居でも共演していたわけだけど、やっぱり個性的な者同士、互いに思っていることをガンガン言ったらしいんだよな。

生島 悠里さんがニュースメーカーだったわけですね。

大沢 放送で「来週からは浅香光代さんに代わりまして、パートナーは野村沙知代さんです」なんて洒落で言ったら、ウケちゃって大変だったね。

生島 悪い人だ(笑)。

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