タイ在住20年の高田胤臣が語る「タイで夢がかなう理由」 未経験からライターに

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商社の仕事を捨て、ライターに

『亜細亜熱帯怪談』などを著書に持つタイ在住ライターの高田胤臣さん。“夢がかなう国”とも呼ばれるタイで夢をかなえるため、さまざまな職を経ながら歩んだ軌跡とは。

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 タイ生活が通算で20年になり、実質的に日本よりもタイ居住歴が長い。ただ、転機はタイとの出会いより、夢がかなったときだと思う。

 ボクは10代半ばから物書きを夢見ていた。原点はスティーヴン・キングの小説『スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編―』(新潮文庫)秋編で、少年たちが死体を探しに行く物語が、読んだ当時主人公と同じ歳だったボクに響いた。数年後、死体写真家・釣崎清隆氏のコラムに出会う。「タイに行けば死体を見られる」というようなことが書かれていた。

 真に受けたボクは1998年、タイに飛んだ。しかし「生の死体」に行きつけず、何度かタイと日本を往復した。そのうち細かいことは気にしないタイ人に安らぎを感じ、2002年に移住を決意する。悠々と暮らす金はなく、現地採用という枠で雇われ働いた。タイ人低所得者よりも少しいいくらいの給料で、現実は夢も希望もない。そんなころに妻と知り合った。

 結婚を考えボクは転職し、なんとか商社営業マンになる。06年に子どもも生まれ、傍から見れば順風満帆だったろう。正直ボクの心は空虚だった。仕事が嫌でたまらなかった。

 04年のプーケット津波災害のころから、バンコクでボランティア活動をしていた。華僑報徳善堂という救急救命組織で、寄付金とボランティアのマンパワーで成り立つ。死体を見る目的はここで果たした。そんな活動に関して当時タイのサブカル・ライターのトップにいた皿井タレーさんからコンタクトがあり、氏のインタビュー本に載る。ボクはライター志望であることも話し、数年後、皿井さんが共著の打診をしてくれた。10年8月ごろだ。

 明けて11年1月、部下がミスを起こし納品遅延が発生した。その謝罪で神経を削られ、2月頭にボクは有休申請した。上司に「タイ人社員に示しがつかない」という理由で却下された。ボクは家に帰り、その数日前に出版社から届いた最初の著書を妻に見せ、「これが名刺代わりになって仕事が入る」と嘘をついて許しを得て、翌日、辞表を出した。

タイは夢が叶う国

 こうしてボクは「本業・ライター」になった。ただ、翌月に日本で地震が起き、あてにしていた日本の出版社への売り込みは白紙になる。同年7月にふたりめの子が生まれたが、その時点でも仕事がゼロで、まだ目も開かない息子を抱きながら脂汗をかいた。

 そんなころ、タイで発行されていた日本語雑誌の出版社で編集者たちの一斉退職が起こり、ライターも大量流出した。そのため急に声がかかり、特集記事の仕事が舞い込む。その後、単行本の仕事も入り、徐々に名前を知られるようになる。一時はどうなることかと思ったが、運よく乗り切ることができた。

 タイは夢がかなう国だと思う。競争相手が日本よりも少なく、またタイ国内では外国人という特殊な立場だ。日本ではできない体験をしたり、未経験ながらもライターとして生活できてしまう。そして、誰からも縛られることなく自由に生きられる。タイで行動を起こせば、いつか必ず想いは届くのだ。

高田胤臣(たかだ・たねおみ)
1977年、東京生まれ。ライター。近著に『亜細亜熱帯怪談』(丸山ゴンザレス監修)など。

2021年5月30日掲載

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