日本のワクチン接種を遅らせた3つの原因 1992年の東京高裁判決が大きな影響

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 共同通信社が5月15~16日に実施した世論調査によれば、「政府の新型コロナウイルスワクチン接種計画が遅い」との回答が85%に上った。

 英オックスフォード大学などによる調査(5月16日時点まで)でも、新型コロナウイルスワクチンを少なくとも1回投与された人の割合は約3%にとどまり、世界平均の約9%に及ばない。順位は世界110位前後に低迷し、接種が進み、普段の生活を取り戻しつつある欧米諸国とは対照的である。

 日本のワクチン接種が遅れている理由は、接種体制の整備の遅れである。

 政府は昨年12月、予防接種法に基づいて「ワクチン接種は市区町村が主体となって行う」ことを決定した。このため自治体毎に接種の進め方や予約の取り方などが異なり、手探りの状態が続いているのが現状である。緊急事態なのにもかかわらず、通常のやり方を踏襲すれば現場が混乱するのは当然だろう。

 自治体の対応能力が低下している背景には、ワクチンを巡る過去30年にわたる悲しい歴史があることも見逃せない。公衆衛生の水準がお世辞にも高いとは言えなかったかつての日本はワクチン接種大国だったが、この流れが大きく変わってしまったのは、1992年に東京高等裁判所が予防接種の副反応訴訟で国に賠償を命じる判決を出してからだと言われている。判決が出ると「被害者救済に広く道を開いた画期的な判決」との世論が一気に広がり、国は上告を断念せざるを得なかった。その後1994年に予防接種法が改正され接種は「努力義務」となり、副反応への恐れの高まりから日本での接種率は急速に低下していった。国民の間に「ワクチン忌避」が高まったことによって、日本政府は外国と比べてもワクチンに対してかなり慎重な対応をすることを余儀なくされた。予防接種の対象である子供の数が減少したこともあいまって、日本の自治体から緊急時に実施される集団接種のノウハウがなくなってしまったのが現状である。

「政府による自治体へのワクチンの配布方法にも問題がある」との指摘もある。政府は全国の都道府県に平等に配布する方針を決定したが、平等に配布したことにより、各自治体に届くワクチンは少量となった。手元にワクチンがわずかしかなく、ワクチンがいつどれだけ入荷するかわからない状況下で、医療従事者の確保をはじめ接種体制を整えることが困難となっている。「感染状況が地域によって異なる中、リスクの高い地域を優先した方が良かった」との声も聞かれるが、「後の祭り」である。

 医師や看護師の確保も大きな課題である。「看護師の資格がなくても一定の研修を受けた人は接種を行えるようにしてほしい」との要望が一部の自治体から出ている。

 日本で英国の成功例が紹介されることが多くなった。英国では昨年12月からワクチン接種が始まったが、その2カ月前に通常であれば接種を行う資格のない人も一定の訓練を受ければ接種を行えるように法律を改正した。英国政府に接種のためのボランテイアに応募した人の数は20万人を超えた。当初は心配する向きもあったが、結果は大成功だった。

 だがその背景には日本をはるかに超える新型コロナウイルス感染による犠牲があったことも見逃せない。日本の半数程度の人口の英国での感染者は400万人を超え、亡くなった人は約13万人である。1年以上にわたって新型コロナウイルスによる深刻な打撃を受け続け、「政府の対策が後手後手に回った」と厳しい批判にさらされたことが国を挙げてのワクチン接種を進める原動力となっていたのである。

 日本政府はこれまでの反省を踏まえ、「ワクチン供給を一気に加速する」としている。その成果が一日も早く出ることを期待したい。

変異株への対応は

 足元のワクチン接種に加えて、中長期的な課題として変異株への対応が挙げられる。

 ウイルスの遺伝情報は突然変異で変わっていくが、その性質を大きく変えることは通常ないとされてきた。だが新型コロナウイルスでは性質が変化する変異株が短期間に複数出現している。その要因として挙げられるのは、感染者が非常に多いことだが、筆者は「人類が強力なワクチンを投与してウイルスの根絶を目指せば目指すほど、新型コロナウイルスは変異株を出現させてこれに対抗するのではないか」と考えている。ちなみに鳥インフルエンザの場合、2000年にワクチンが出来た後に変異株が急増している。

 このところ世界各地で変異株が出現しているが、筆者が警戒しているのはカリフォルニア州で発見された変異株である。「日本人をはじめ東アジア地域の人々に感染しやすい」との暫定的な研究結果が出ているからである。新型コロナウイルスに打ち克つためには(1)抗体(液性免疫)を保有するとともに(2)新型コロナウイルスに感染した細胞を破壊するキラーT細胞(細胞性免疫)を獲得することが必要である。細胞性免疫は重症予防に有効であるとされている。日本をはじめ東アジア地域で被害が比較的軽微だったことの原因の一つに「新型コロナウイルスに適切に対応できる細胞性免疫を有していた」との仮説(ファクターX)が出されていたが、カリフォルニア型ではこれが通用しないというのである。今後各国毎に変異株が出現する可能性がある。

 世界初のDNAタイプのワクチンを開発している大阪大学の森下竜一教授は9日「新型コロナウイルスの変異株に対応するワクチンの開発に着手した」と述べた。塩野義製薬も同日「変異株対応のワクチン開発を検討している」ことを明らかにしている。

 ファクターXが消滅しつつある日本では、国産ワクチン開発を官民挙げて実現することが喫緊の課題ではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月24日掲載

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