星野仙一は巨人投手をビンタ…相手チームの選手を殴った監督列伝

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「オレがお前のところに……」

 マウンドで相手投手を殴打する事件を起こしたのが、日本ハム・大沢啓二監督である。76年6月17日の阪急戦、日本ハムは4回、後頭部に死球を受けたウイリアムスが、マウンドの竹村一義に向かっていこうとしたが、大沢監督が必死に止め、事なきを得た。だが、大沢監督は「今度やったら、オレがお前のところに行くぞ」と竹村に釘を刺すことも忘れなかった。

 ところが、竹村は5回、今度は上垣内誠の顔面をかすめる危険球。ボールは左手に当たり、またも死球となった。次の瞬間、ベンチから大沢監督が猛烈な勢いで飛び出してくると、後ろから竹村の襟首を掴み、ポカリと殴りつけた。

 竹村が自軍ベンチに逃げようとすると、ウイリアムスが追いかけてタックル。たちまち両軍ナインが三塁ベース付近でもみ合い、阪急・中田光宏コーチがウイリアムスに殴られて唇を負傷。竹村も腰を痛めた。大沢監督とウイリアムスは退場になり、ともに7日間出場停止になった。

「まさか大沢監督が殴るなんて……」とショックを受けた竹村に対し、大沢監督は「頭はいかん。野球生命にかかわるし、お互いに家庭や子供の生活がかかっているんだからな」と興奮口調で語ったが、冷静になると、「先に手を出したのは悪い。お客さんの目の前でみっともないことをした」と反省の言葉を口にした。

 前年は11勝を挙げ、チームの日本一に貢献した竹村だったが、同年は0勝3敗。翌年も阪神で0勝1敗に終わり、戦力外に。事件が尾を引いたとしか言いようがない。

 そんな竹村に手を差し伸べたのが、大沢監督だった。事件後、竹村をずっと気にかけ、「何とかしてやりたい」と翌春のキャンプで20日間テストした。だが、「個人の情としては採用してやりたいが、ウチの戦力として計算できない」と断を下し、竹村も納得して現役を引退した。いかにも大沢親分らしい人情エピソードだ。

吹っ飛んだ水野の帽子

 最後は中日時代の“闘将”星野仙一監督にご登場願おう。

 90年5月24日の巨人戦、3回、バンスローが槙原寛己の喉元付近への投球に怒りをあらわにする。星野監督も「危険投球だ!」と友寄正人球審に激しく抗議した。

 だが、巨人ベンチから松原誠コーチが「あそこを狙うのは当たり前だ。いつまでグズグズ言ってるんだ、星野」とヤジったことが怒りを倍加させる。「何や、もう一度言ってみろ!」と、星野監督は鬼の形相で突進。中日ナインも後に続き、巨人ベンチ前でもみ合いとなった。

 星野監督を制止しようと、投手の水野雄仁が前に立ちはだかると、「どけ!」とばかりに闘将のビンタが右頬に炸裂。弾みで水野の帽子が吹っ飛んだ。

「ウチのヤジがきっかけだったんで申し訳ない」と藤田元司監督が腰に抱きつくようにして謝り、ようやく事態が収まったが、乱闘中に江藤省三コーチを殴って負傷させたディステファーノに退場が宣告されると、再び激昂した星野監督は「オレも退場でいい。松原コーチも退場させろ!」と要求した。

 だが、当時の乱闘は、最も悪質と思われる暴行の当事者を退場させてケリというのが半ばお約束。ヤジは「(審判に)聞こえなかった」と不問に付され、星野監督も退場を免れている。

 余談だが、ロッテ・金田正一監督も91年の“秋田の乱”で、襲いかかってきた近鉄・トレーバーの顔面に“カネやんキック”をお見舞いしたにもかかわらず、退場者はトレーバーだけだった。

 今では乱闘シーンもあまり見られなくなった。暴力はあってはならないが、指揮官をこれほどまでに熱くさせた時代のプロ野球は、野球人生をかけた男と男の真剣勝負の匂いが漂っていたのも事実である。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集

2021年5月6日掲載

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