中国駐大阪総領事館のトップが約半年不在 華僑社会でささやかれる“身柄拘束”説

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台湾問題

 死去する直前は、08年5月に発生した四川大地震の義援金対応などにあたっていただけに、死去の発表後、駐大阪総領事館に設けられた祭壇には、当時の橋下徹大阪府知事をはじめ、関西の要人ら多数が弔問に訪れた。

 中国の在外公館をめぐる不可解な動向に関しては他にも例はある。筆者が今年4月に上梓した『アジア血風録』(MdN新書)にも収録したが、中国の孔鉉佑[こう・げんゆう]駐日大使が20年3月27日、東京・内幸町の日本記者クラブで会見した際にこの身を以て体験した。

 19年末以降の中国・武漢市での発生、流行から一気に世界に感染拡大した新型コロナウイルス感染症について、孔氏は同会見で「中国は世界の公衆衛生上の安全保障への責任を果たす」と語った。

 そして中国政府の新型コロナウイルス対策について「習近平国家主席の直接指揮の下、徹底的な抑制措置を取った結果、感染拡大は基本的に遮断できた」などと説明した。

 ところが、質疑応答を含め、中国の圧力によって世界保健機関(WHO)から台湾が締め出されている状況が、世界的に疑問視されていることについては全く言及がないままだった。

仰天の反論

 会見終了後、名刺交換を兼ねた立ち話の中で「今後は台湾がWHOにオブザーバー参加することが常態化するとみていいか」と孔氏に質問したところ、「おそらくそうなるだろう。その方向ですでに関係各方面との話し合い、調整が始まっている」と日本語で答えたのだ。

 著者はこれをスクープとして3月29日、インターネットニュースサイト『JB press』で、「中国、台湾のWHOオブザーバー参加、認める方針」と報じた。

 もっとも、同31日になって、駐日中国大使館は突然ホームページでこの報道を「フェイクニュース」だと断じる声明を発表。4月1日夕には中国国務院台湾事務弁公室(国台弁)もこれを受けて、同公室ホームページ上で、台湾のWHO総会参加は、「一つの中国の原則の下で対処するのが必須」とする広報官談話の新華社電を掲載。筆者と孔氏の会話は会見に出席した各社の記者らの目の前で行われたにもかかわらず、駐日大使館では「そのような取材自体がなかった」との仰天スタンスで著者の抗議を一蹴するという信じがたい反応を示した。

 これがきっかけになったかどうかは定かではないが、以後の駐日中国大使館での孔氏の立場について、「大使」の肩書に変更はないものの、大使の実権自体は別の人物に移譲された、と周辺からは目されている。

「病気ではありません」

 いずれにせよ、経済・軍事的に急成長した中国の強権的な動向は、米国との対立を深化させている。

 経済的には中国と深い関係にある日本も、米国との同盟関係を重視せざるをえなくなっている。オリンピック・パラリンピック東京大会などもひかえ、日本における中国の在外公館の動向についても、日本社会が無関心でいるようでは、健全な国際感覚があるとはいえない。

 この不可解な駐大阪総領事館トップの長期不在に関し、筆者が駐大阪総領事館に電話取材したところ、窓口担当者は「総領事は今も何振良で変わりありませんが、一時帰国しており、現在は副総領事の張玉萍が代理総領事として対応しています。総領事の帰国の理由は業務の都合です。病気ではありません」と説明。

 しかし、重ねてその背景を尋ねたところ「実のところ私どもにも、はっきりした事情は示されていないのです」と本音を漏らした。「祖国、中国でいったい何が起きているのか全くわからない」とする在日華僑・華人らの不満の声は、駐大阪総領事館内部においても同じようだ。

吉村剛史(よしむら・たけし)
1965年、兵庫県明石市出身。日本大学法学部卒。在学中の88〜89年に北京大学に留学。90年、産経新聞社入社。東京・大阪の両本社社会部や僚紙『夕刊フジ』関西総局で司法、行政、皇室報道等を担当。台湾大学社費留学、外信部を経て台北支局長、岡山支局長、広島総局長などを歴任。2017年、日本大学大学院総合社会情報研究科前期博士課程修了(修士・国際情報)。19年末退職。以後フリーに。日本記者クラブ会員、東海大学海洋学部講師。主なテーマは在日外国人や中国、台湾、ベトナムなどアジア情勢。著書に『アジア血風録』(MdN新書)等。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月26日掲載

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