松山英樹「マスターズ制覇」の要因は「マスコミ不在」とコーチの存在 「謙虚さが出てきた」

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 さすがのヒデキも感激である。挑戦から10年でようやく掴んだ「グリーンジャケット」。長い間、伸び悩んでいた松山英樹(29)をマスターズのチャンピオンへと導いた秘密とは何だったのだろうか。三つの“C”をキーワードにその変化を読み解く。

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「優勝後の表彰式が終わると、携帯に着信がありました。英樹からだったので、驚きながら取ると“監督……”と言ったきり、次の言葉を継げず、黙ってしまったのです」

 そう明かすのは、松山の恩師である東北福祉大学ゴルフ部監督の阿部靖彦氏だ。

「でも、この沈黙に万感の思いが込められていることが伝わり、胸が熱くなりました。言葉にせずとも“監督、やりましたよ”と言いたいのは分かったので、私から“おめでとう”、英樹は“はい”と言って、電話は切れました」

 2011年の東日本大震災直後、マスターズに初出場してからの悲願だった。その沈黙は口下手で知られる松山が伝えられる精一杯の感謝だったのだろう。

 改めて今回の偉業について、ジャーナリストの舩越園子氏がこう解説する。

「マスターズの4日間を通して、松山選手のプレーを振り返ると、優勝を決定づけるホールがあったわけでも、ミラクルショットがあったわけでもありません。言葉を換えれば、松山選手の地力が光った大会でした。アメリカでは17年以来、優勝から遠ざかっていましたが、この間、スランプや絶不調だったかといえば、そうではない。世界ランキングなどでもトップ30をキープしていて、伸び悩んでいたというのが正確でしょう。それゆえ、この4年間、彼の胸中ではさまざまな葛藤があったはずです」

 松山はこれまでコーチをつけずに「自己流」で技術を磨いてきた。

 その松山が一転、昨年末からコーチを招聘する決断を下した。これが一つ目のCである。招いたのは、松山の1学年上で日本大学ゴルフ部出身、アメリカへの留学の経験もある目澤秀憲(めざわひでのり)コーチだった。

 ゴルフライターによれば、

「出会ったのは昨年10月、別の選手のコーチとしてアメリカに滞在していた目澤さんが松山さんと会うことがあったそうです。それから意気投合し、あっという間にチーム松山に加わることになりました。松山さんはもともと、上から目線で指導されることが大嫌い。コーチをつけたということは、彼自身の危機感の表れでもあったのです」

 先の阿部監督は当時の様子をこう語る。

「昨年の11月中旬頃だったと思います。英樹から電話があって、“監督、コーチをつけようと思います”と相談を受けました。目澤さんは英樹とほぼ同い年で性格や考えも合っていた。互いに疑問点を出し合い、納得すれば取り入れるというスタイルで、今回のスイングやパターを見ると、明らかに打ち方が変わり、進化していました」

 舩越氏も同調する。

「マスターズ最終日は、1番と15番などでボギーを出したものの、次ホールを含め、大きく乱れることはありませんでした。コーチという第三者の声に耳を傾け、プレーに安定感がもたらされた結果だと思います」

 二つ目のCは新型コロナウイルス。今大会はコロナの蔓延により、マスコミ関係者の人数がかなり制限され、そのことが松山に好影響を与えたという。実は松山とマスコミは長き“冷戦”状態にあったのだ。

「松山さんはシャイなので取材を受けるのが不得手です。その割に、自身の記事はネットでかなりチェックしていて、密かに記者を1軍から3軍に分類しています。1軍は旧知でゴルフの知識もあり、きちんとした記事を書く記者。2軍は顔と名前は知っているけど、私生活などゴルフ以外の質問をしてくる記者。3軍は名前も知らないその他大勢の記者です」(前出・ゴルフライター)

 日本では、トッププロゴルファーでも練習場で記者が声をかければ、気さくに取材に応じてくれることが多いのだが、

「松山さんの囲み取材は2、3分で終了するし、“1軍記者”でも駐車場で声をかけてもコメントはとれません。それくらいマスコミを苦手としているのです。ある元トッププロが松山さんにゴルフ以外の質問をぶつけたところ、“別に……”と言って沈黙してしまったこともありました」(同)

「超マイペース人間」

 マスターズでは通常、25~30社ほどの日本のメディアが取材に訪れるが、今回、彼にとって幸いしたのはそれがわずか3社程度だったこと。実際、大会中の会見では報道陣が少ないことを問われて、

「大勢に囲まれることが苦手。人数も少なくなっているので自分的には楽になっています」

 と率直な気持ちを吐露していた。「マスコミ不在」がストレスの軽減につながったのである。

 信頼できるコーチを近くに、苦手なマスコミを図らずも遠ざけられた松山。そのことがチームのコミュニケーションを円滑にした。最後のCである。

 ゴルフジャーナリストの児島宏氏が指摘する。

「今回のマスターズでは彼の雰囲気が丸くなったのが印象的でした。ミスをすると不機嫌な様子を見せることが多かったが、今回の試合後のインタビューではいつもの仏頂面ではなく、人間味のようなものが見えていました。コーチをつけたことによるメンタル面の成長を窺わせました」

 かつて松山を取材したことのあるカメラマンも驚きを隠せない。

「松山さんは良い意味でも悪い意味でもお山の大将でした。例えば、マスターズでは彼はコース近くに一軒家を借り、キャディーらと生活をともにするのですが、練習日などではキャディーでも松山さんの起きる時間が分からなかったのです。というのも、彼は寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きる人なので、周りは起きてくるまでじっと待っているしかないほどの超マイペース人間でした。それも最近は改善されてきたとか」

 今回も同様に一軒家を借りていたが、

「コロナで外出が自由にできない分、チーム内の会話が増えていたそうです。また、年齢を重ねてきたからか、かつてよりも本人に謙虚さが出て、周りにも気を遣うようになってきた。それがチームの結束力を高めることになったのでしょう」(同)

 さまざまな要素が折り重なり、もたらされた快挙。阿部監督は今後について、

「英樹がアメリカに渡るとき、“10年は日本に帰ってくるな”と言いました。今度会ったら“もう10年帰るな”と言いたい。マスターズ優勝も通過点で、さらなる高みを目指すでしょう」

週刊新潮 2021年4月22日号掲載

ワイド特集「人生のハザード」より

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