「俺も東京っぽいことがしてえ」小説家・カツセマサヒコが東京生まれなのに“コンプレックス”を抱く理由

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東京育ちだけど…

 ウェブを中心にさまざまな媒体で執筆し『明け方の若者たち』で小説家デビューしたカツセマサヒコさん。東京生まれ、東京育ちで、シティボーイやら都会っ子やら言われるけれど、実はいつまでたっても慣れなくて――。

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 井の頭線が激しく揺れた。咄嗟につり革に掴まると、バランスを崩したのだろうか、前に立っていたサラリーマンが全体重を預けてきた。つり革を掴む右手が力んで震える。ふんぬと左腕や肩で男性を押し戻すと、スーツ越しの肉塊が、ぶよぶよとこちらに纏わりつくような感覚があった。目的地まであと4駅。薄くなった酸素を必死に体内に取り入れながら、祈るように到着を待つ。

 12歳から、満員電車に押し込められていた。入学した私立中学は文京区にあって、家の最寄り駅からの乗り換えは3回。いずれも高い乗車率を誇る電車に、入学初日から苦しめられた。文庫本を広げるスペースすらないのだ。いつしか車内では、イヤホンを耳に押し当て、心を殺すように目を瞑って過ごすようになった。

 東京生まれ、東京育ち。と言うと、すぐにシティボーイだとか都会っ子だとかと言われる。実際は近所の川でザリガニを釣り、カワセミを自転車で追いかけ、神社の裏庭に秘密基地を作る幼少時代だった。親からは「渋谷は危ない場所だ」と教わり、「新宿なんてヤクザしかいない街だ」と警告されていた。

「俺も東京っぽいことがしてえ」というダサい感情

 今年で東京歴35年を迎える。下水の匂いがアスファルトに立ち込め、その上を今日も百万単位の人が歩く。緑化が進んだ公園からはホームレスが排除され、憩いの場と言われた広場にハイブランドのブティックが並ぶ。みんなスマホの画面に目をやっていて、ビルに掲げられた大きな看板は、誰の視界にも入っていない。そんな光景も当たり前にはなっているのに、未だに六本木でタクシーを呼ぶと「東京っぽさ」を感じて高揚するし、スクランブル交差点の最前列で信号待ちをすると、映画の主人公にでもなったように感じる。

 いつまでたっても、慣れない。つまり、飽きていない。そう感じるのは、きっと自分が「東京人」とはほど遠いまま生きてきたからだ。他者と接して初めて自己を認識するように、私が「東京」を意識するようになったのは、大学に進学してからである。地方出身の友人が増えてから気付いた。彼らは私以上に東京に詳しく、私が降りたことのない駅にあるいくつもの居酒屋やバーを知っており、どこが入り口かもわからない古着屋やレコードショップを何軒も梯子していた。私の知らないアパレルブランドを語り、私の知らないバンドのライブに足繁く通っていた。

 彼らは何か目的があって、もしくはその目的を見つけるために東京に来た。私はたまたま生まれたところが東京なだけだった。その認識が強まると、なぜか私の方が東京コンプレックスを抱くようになった。「下北で飲んでいたら芸能人の××がいて、そのまま朝まで話してた」なんて東京っぽい話を友人から聞くたび、チクショウ、俺も東京っぽいことがしてえ、と今でも思う。このダサい感情は何なのだろうか。

 コロナ禍が訪れて、少しだけ、東京の色は薄まったように感じる。それでも、登ったことのない東京タワーは今日も切なく儚げに輝いていた。

カツセマサヒコ
1986年東京生まれ。ウェブを中心にライターとして活動。昨年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。

2021年4月15日掲載

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