「火葬場での骨上げは辛かった…」60年来の盟友「石井ふく子」が明かす橋田壽賀子さん“最期の姿”

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「こんなに早く亡くなられるとは思ってもなかった」

 と涙ぐむのは、テレビプロデューサーの石井ふく子氏(94)。4月4日、脚本家・橋田壽賀子さんが急性リンパ腫で息を引き取った。享年95。60年来のお付き合いという石井氏が、橋田さんとのお別れの様子を語る。

「今年2月に東京の病院をお見舞いしたときは、『渡る世間は鬼ばかり』の次回作のテーマについてお話しされていたんです」

 橋田文化財団によると、橋田さんは2月下旬に都内の病院に入院。3月中旬に自宅がある熱海市内の病院に転院した。

 生前たびたび“安楽死したい”と語っていた橋田さん。昨年1月2・9日号の本誌(「週刊新潮」)インタビューでも、

〈人に迷惑をかけてまで生きたくない。私はもう作家として役立たずだし、(中略)家族もいませんから、私に生きていてほしいと思う人も、私がこの人のために生きたいという人もいません。仕事がなく、楽しみもなく、会いたい人もいないのなら、多額の医療費を無駄にしてまで生きるよりは、安楽死したいのです〉

 と強く訴えていた。

 やはり治療を拒み、“安楽死”を選んだのだろうか。

 石井氏はこれを否定する。熱海転院はご本人の希望だが、転院後も都内の病院で検査を受けるなど治療は続いていた。4月3日に自宅に戻ったが、それは体調が安定したからだという。

 ところが、翌4日朝に容体が急変した。

「7時頃に“呼吸が苦しそうになってきた”と連絡が入り、私は車で熱海に急ぎました。けれど(臨終には)間に合わなかった」

 午前9時13分のご臨終には、主治医と家政婦、旅行仲間、そして泉ピン子さんが立ち会い、橋田さんは彼らに看取られながら静かに目を閉じたという。

 石井氏が到着したのはその約1時間後だった。

「お亡くなりになって間もない先生を拝顔すると、ちょっと痩せてましたけれども、にこやかな表情でした。私は“どこに行くのよ。起きなさい!”と怒鳴り、さらに“戻ってきなさい”と何度も言ったけど……」

 故人の遺志により告別式は執り行わず、身内のみで荼毘に付された。

「火葬場での骨上げは辛かった。喉仏とか見る余裕はありませんでした。でも、職員の方は遺骸を見て“骨がすごい丈夫な方ですね”とおっしゃっていました」

 最後に石井氏はしんみりとこう呟いた。

「もう喧嘩相手がいなくなっちゃった」

週刊新潮 2021年4月15日号掲載