渦中のマリエ、セレドルから震災のツイートで大炎上……、山あり谷ありの芸能生活

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“セレドル”マリエ

 もっとも、マリエを最近テレビで見かけることはほとんどない。現在、レギュラー番組はFMラジオの「SEASONS」(J-WAVE)のみ。17年に、自身のブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS」を立ち上げ、最近はファッションディレクターとして活動しているようだ。だから若い方は、どんなタレントだったか知らない人もいるはずである。改めて紹介すると、

「フランス系カナダ人の父と日本人の母を持つハーフで、小学生の時にスターダストプロモーションにスカウトされました。そして2000年に、沢尻エリカや小嶋陽菜らと『Harajukuロンチャーズ』(BS朝日)という番組を持ちましたが、これは上手くいきませんでした。15歳の時、改めて現在所属するレプロエンタテインメントにスカウトされ、再度、芸能界入り。05年に紳助さんがMCの『世界バリバリ★バリュー』(TBS/毎日放送制作)で、セレブなアイドル“セレドル”として取り上げられたことで、人気が出たんです」

 当時の彼女のセレブぶりは、以下のように紹介されている。

《最近、“セレドル”として注目度が急上昇のマリエ嬢。カナダ人の父はカーレース用の大手オイル会社を経営し、祖母は「リュック・ベンソンの育ての親」と呼ばれる映画プロデューサー。自家用ヘリ&クルーザーを所有し、自宅は東京に2軒、さらにニース、パリ、ロスと合わせて5軒。モナコグランプリは悠々とクルーザーから観戦し、幼い頃はF1レーサーのジャック・ヴィルヌーブと家でディナー……と紛うことなきセレブなのだ》(「週刊SPA!」06年5月23日号)

 セレブな彼女だから、言うことも振るっていた。

《「基本的に港区、渋谷区から出ないですね。新宿ですか? たまに、伊勢丹に行くぐらいですね。食事はほぼ外食です。アボカドが大好きなので、アボカド料理の店によく行きますね。カップラーメンは食べた記憶がないなあ(笑)」》(「FRIDAY」06年8月4日号)

「当時の雑誌やテレビは、こぞって彼女のお嬢様ぶりを報じました。母親と2人で金持ち母娘対談記事まで掲載されたほどです。ところが、彼女がテレビで素顔を明かすにつれ、お嬢様イメージがなくなっていきました。07年2月の『嵐の宿題くん』(日本テレビ)にゲスト出演した時も、アボカド好きの彼女のために様々なアボカド料理が振る舞われたのですが、『マジでまずい、オェ!』などと、およそお嬢様とは思えない態度を見せていました」

 あに図らんや、それがまた裏表のない性格、毒舌キャラとして人気となっていったのだ。

「今回、彼女は紳助さんの枕営業話で芸能界に愛想を尽かした、といった話をしています。彼女が18歳の時ですから、05~06年のことだと思われます。しかし彼女は、06年には『マチベン』(NHK)で女優デビューし、07年には『ファースト・キス』(フジテレビ)で月9デビューも果たします。バラエティでも『笑っていいとも!』(同前)のレギュラーになるなど、活躍の場を広げていったのです」

 もちろん、マリエは本当にお嬢様なのか、といった記事も出た。

《民間信用調査会社などによると、父親が経営する自動車オイルなどの輸入・販売会社は、01年に不渡り事故を起こして休眠状態。現在は母親が経営する別会社が、オイルの卸売りをしている。ちなみにその会社の従業員は数人程度で、ここ5年間の年間売上高は1億5千万円程度、当期利益は約1180万円(05年)。会社の車両はバンなど2台のみという状況だ》(「週刊朝日」07年10月5日号)

「そんな記事が出ても、彼女は全くキャラを変えませんでした。その後も、女性誌などにはセレブとして登場していました。いかに事務所の売り方が上手かったかということです」

 それとも、紳助のキャラ作りのおかげということなのか。

 08年にはF1ドライバーとの路チュー写真が報じられ、「友達でも魅力を感じたらキスをする」と答え、ぶっちゃけキャラも加わった。

 09年4月27日の「しゃべくり007」(日本テレビ)では、“許せないモデル”というお題を出され、こうぶっちゃけた。相手の名前こそピー音で消されたものの、

マリエ:モデルとしての要素がひとつもない! メークを取ってみ、髪の毛黒くしてみ、あの子。その肩書きで一緒に並ばないでほしい。タレントでいいじゃん! モデルじゃない!

 09年8月15日に放送された「さんまのまんま」(フジ/関西テレビ制作)では、

マリエ:これは、“ピー”でもいいんですけど、1日5回くらいヤラないと、ダメなんですよ!

明石家さんま:芸能界33年、初めて背中に汗かきました。

「さすがのさんまさんも驚いていました。番組では、好きな男について、『フリーターとかと付き合っちゃうんです』『暇じゃないとダメというのもあるんですね。他に労力使われちゃうと』なんて言っていましたからね。この頃はセレドルのイメージはすっかりなくなっていました」

 そして10年前に決定的な“事件”が起こる。

「結局、彼女が芸能界での仕事が減ったのは、東日本大震災の時のツイートが問題視されたからです」

 11年3月11日の東日本大震災で、世界中が募金や義援金などに動いていた時のこと。彼女はこう呟いたのだ。

《くだらね、世の中チャリティー産業かよ!?》

《……芸能人がどんなにおかねをつぎこむよりも……実際にそこへいって、一人でもおおくのひとと写メをとってあげてがんばろうねっていってあげるほうが、何倍も価値がある》

《こっちはいきたくったっていけないんだよ。金だけだせばいいとおもいやがって》

「Twitterはすぐに削除されましたが、彼女に対して、ふざけるなの大バッシングが起こりました。彼女も反省して、謝罪もしました。しかし、バラエティ番組のレギュラーをドタキャンしたりして、彼女に声がかかることはなくなっていきました。その後はアメリカに留学。久しぶりに公の場に現れたのは15年に行われたコスメブランドのイベントでした」

《ここ数年めっきりテレビで見る機会も減っていた彼女だが、この日注目を集めたのはヘアスタイル。胸の下まであった髪を50センチ以上もカットし、ベリーショートになっていたのだ。/報道人に質問されると、彼女は「セルフカットなんです」と笑顔で受け答え。かつての“毒舌キャラ”とは違う優等生な話しぶりに、報道陣から驚きの声が上がっていた》(「女性自身」15年5月12・19日号)

「同じ記事では、彼女の両親がすでに離婚したこと、父の会社は15年1月に解散し、借金はマリエが背負ったとも報じられています。で、今回の突然の告発です。また何か心境の変化があったのでしょうか」

デイリー新潮取材班

2021年4月12日掲載

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