「営業」「砂」「平松?」…ありえない理由で「雨天コールドゲーム」となった3つの試合

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200勝もチラリ

 後味の悪い話が続いたが、降雨コールドに救われ、通算200勝を達成した男もいる。“カミソリシュート”で知られる大洋・平松政次だ。82年に一度は引退を決意した平松だったが、関根潤三監督らの説得で、「200勝を達成してから引退する」と最後の目標に向かって、再び気力を奮い立たせた。

 そして、翌83年10月9日の広島戦で199勝目を挙げるが、同15日の広島戦は2回途中KO。同21日の後楽園球場で行われる巨人戦がラストチャンスとなった。この日に、すべてをかけて先発した平松は、4回まで巨人打線を無安打に抑え、8奪三振。味方打線も初回に5点を先制し、5回表まで8対0と大きくリードした。

 ところが、その裏、平松は初回から飛ばし過ぎたリバウンドと、降りつづく雨でボールがすっぽ抜け、2失点。6回にも4点を献上し、たちまち2点差に。さらに次打者・吉村禎章にも四球。一発出れば一挙に同点である。何とか記録を達成させてやりたい関根監督が中止を要請すべくベンチを出ようとした直後、岡田功球審が審判団を集め、協議に入る。

 間もなく岡田球審は右手を上げ、コールドゲームを宣告。この結果、平松は勝利投手となり、通算200勝を達成した。岡田球審は「もうマウンドがグチャグチャで、補修の利く状態ではなかった。強行してケガしたらいけませんしね」と説明したうえで、「まあ、200勝もチラリ、頭にはありましたね」と“人情ジャッジ”だったことも明かした。巨人・藤田元司監督が抗議をせず、丸く収めたことについても、関根監督は自著「若いヤツの育て方」(日本実業出版社)の中で、藤田監督が日本石油の後輩にあたる平松に温情をかけてくれたのでは、と推理している。

「次は雨が降ろうが槍が降ろうが、味方に変えるでしょう」と阪神戦の雪辱を誓った原監督。今度は“笑顔の降雨コールド”にすることができるか。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年4月11日掲載

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