志村けんに愛された女たち 「小柳ルミ子」が明かした「最後の会話」 「由紀さおり」が語る「いかりや長介」とのエピソード

エンタメ

  • ブックマーク

Advertisement

「夫婦コント」で共演

 志村は76年に「東村山音頭」でついにブレイク。一躍人気者になる。「ヒゲダンス」や「カラスの勝手でしょ」など今も記憶に残る芸が生まれたのはこの後のことだった。

 小柳はその当時、「全員集合」で志村と夫婦コントで共演していたが、

「もうね、私とのコントはほとんどアドリブなんですよ。『全員集合』は土曜日が本番で、水曜と木曜がTBSのスタジオでリハーサル、金曜日にその週の会場でセットを組みます。一応、私はリハには行くのですが、台本を見るとけんちゃんとのパートは全くの空白。なんにも書かれていないんですよ。番組前半の大掛かりなコントのところはびっしり書かれているのに、こちらは全部私たちにお任せだったんです」

 志村はその“相性”についてこう話していた。

「けんちゃんは“ルミ子が相手だとやりやすい”って言ってくれました。打ち合わせは短時間で、けんちゃんがほとんど決めていましたけど、本番では何をやってくるかわからない。それこそ、いきなり顔の前でオナラをしてくるなんてこともあった。でも、私はきちんとリアクションをして返す。だからやりやすいってことなんだと思います」

「全員集合」を作るにあたってはまさに全員が真剣勝負だったと、小柳は続ける。

「水曜、木曜のリハの時に私が“おはようございます”と打ち合わせ室に入りますよね。すると、メンバーとディレクターや構成作家ら10人以上が椅子に座って黙って下を向いているんです。もう5時間も6時間も今週のコントをどうするかを考えている。まるでお葬式みたいでしたよ。で、いかりやさんやけんちゃん、作家さんが口火を切って、番組を作り上げていく。毎週の生放送ですから、本当に大変なことでした」

「全員集合」16年の歴史に幕

 一時は最高視聴率が50%を超えたお化け番組も、80年代に入ると次第にフジテレビの「オレたちひょうきん族」に押されるようになる。

 結局、85年に「全員集合」は16年の歴史の幕を閉じ、翌年には加藤茶とともに「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)がレギュラー番組として、また「全員集合」の一コントだった「バカ殿」が同年に不定期の特別番組となり「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)がスタートする。続く87年には「志村けんのだいじょうぶだぁ」(同)も放送を開始し、志村がメインの番組は高視聴率を連発。小柳自身も転機を迎えた。

「90年に私が事務所を独立したんです。その時にはけんちゃんが新事務所の名前を『テンプテーション』(誘惑)と命名してくれました。電話で“社名考えてよ”と急に聞いたのに、けんちゃんは“ルミ子っぽいじゃん”って、とっさにそういう言葉が出てくるんです。それもけんちゃん自身がものすごい勉強家だったからだと思います。自身のコントのために喜劇俳優や映画を研究していたと言われますが、それだけでなく実は洋楽から邦楽まで、音楽にもとても造詣が深かったんです。実際に私がショーでどんな歌を披露すればいいか、電話で相談していたほど。例えば、フランスのジプシー・キングスとか、“あれお前にぴったりだ”って言われて、私も当時知らなかったくらいのミュージシャンを薦めてくれるんです」(同)

 だが、テレビの世界は栄枯盛衰。人気も長くは続かず、その後、「ごきげんテレビ」も「だいじょうぶだぁ」もそれぞれ92年、93年に終了してしまう。

次ページ:小柳ルミ子との「最後の会話」

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。