ひろゆき氏「古文・漢文オワコン」論に賛否 識者が語る“古典を学ぶべき高校生”は?

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福沢諭吉と漢文

 呉氏が続ける。

「漢文の知識は、文学部の中国哲学科で学ぶ大学生だけに必要なものではありません。経済学部や法学部の学生でも、自分たちが使う専門用語の大半が漢文の影響を受けていることを考えれば、その重要性を理解できるでしょう」

 先に紹介した福沢諭吉だが、呉氏によると「彼は四書のうち『孟子』なら人に教えられるほどの学識を持っていました」という。

「福沢が特別だったわけではなく、士族という当時の知識人階級では当然の教養だったのです。西洋の先進思想や文化、技術を翻訳によって日本に紹介した際、福沢が漢籍に通じていたことは大きなメリットとなりました」(同・呉氏)

 もっと日常的なレベルでも、漢文の知識は役に立つ。およそ会社で働く場合、文章を書くことは日常業務の一つだろう。

 その際、言葉の誤用が少ないに越したことはない。呉氏は「至上命令を至上命題と誤用することが増えている」ことを例に挙げ、漢文の重要性を解説する。

慶應大学は漢文を出題?

 ちなみに命題は英語「proposition」の訳語である。辞書で引くと、「論理学で、判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの」(デジタル大辞泉)とある。

 もちろん「命令」の定義は、「上位の者が下位の者に対して、あることを行うように言いつけること」(同)だ。

 意味を調べると、「命令」と「命題」は全く違う。にもかかわらず、なぜ誤用してしまうのだろうか。

「『最重要の命令』という意味の“至上命令”を“至上命題”と誤用してしまうのは、『命題』を『命のように大切な題』とイメージしているからでしょう。もしレ点の知識があれば、『命題』を正しく理解できます。『題を命す』となり、この『命』は『みことのり』という意味です。つまり『題を言う』ということで、propositionの『提案、陳述、主張』という日本語訳とぴったり合います」(同・呉氏)

 福沢諭吉が設立した慶應大学は、経済学部も商学部も法学部も、そして文学部でさえも入試科目に国語はなく、代わりに小論文が出題されている。

 つまり慶應大学の受験生は漢文の問題を解くことはない。何とも皮肉な話ではないか。

デイリー新潮取材班

2021年3月10日掲載

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