袴田事件、「味噌漬け実験」で静岡県警のでっちあげに肉薄する支援者「男性」の執念

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「秀子さん、秀子さん、文面を読み上げてください」。スマホに向かう声が大きくなったのは「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫会長)の山崎俊樹事務局長(67)。

 昨年12月23日昼過ぎに突然、浜松市の袴田秀子さん(88)から電話があった。「最高裁判所から通知書が来ましたけど弁護士さんが誰も捕まらないんですよ」と。

 不吉な予感がした。「棄却ならやばい、巌さんが再収監されるかもしれない」。だが読み上げてくれた内容は「東京高裁に審理を差し戻す」との内容で再収監するとは書いていない。山崎さんは胸をなでおろした。

 早速、東京の袴田弁護団の西嶋勝彦弁護士に「決定通知が来ているはずです」と電話し、ファクスしてもらった。「後ろの方に『反対意見』と書いてあり一瞬、心配しましたが、なんと、差し戻さず即刻再審開始決定すべしという二人の意見でした。日弁連出身の宮崎裕子裁判官が反対してくれればすぐに再審開始だったのに」と山崎さんは不満そうだ。

 最高裁小法廷は5人の議決。差し戻しは3対2で決まった。それでも秀子さんが「クリスマスプレゼント」と喜んだ朗報に「想像ですが元駐英大使の林景一裁判官の存在が大きかったのでは。死刑廃止を訴える英国の国会議員が、袴田さんの再審を訴えて駐英大使館にも来ていたようです。それと今回、検察官出身者がいなかったこともよかった」と山崎さん。

一年経ってから「犯行時着衣」発見

 世紀の冤罪、「袴田事件」を振り返る。1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社「こがね味噌」の橋本藤雄専務の一家4人が刃物でめった刺しに惨殺され放火された。静岡県警は犯行時に着ていたとみたパジャマに「被害者の血が大量に付いていた」と、住み込み従業員の元プロボクサー袴田巌さん(当時30)を逮捕、巌さんは強盗殺人罪などで起訴された。ところが事件翌年、静岡県警は味噌工場の大きな味噌樽から「袴田が犯行時に着ていたシャツ、ズボン、ブリーフなど5点の衣類を発見した」と発表、それに被害者の血がついているとした。起訴状とまるで違う内容だ。実験で袴田さんはズボンが小さすぎて全然履けなかったが、検察は「味噌に浸かって縮んだ」とごまかした。そんな小さな差ではなかった。殺害動機も「肉体関係のあった専務の妻に頼まれた」とか「金が欲しかった」など二転三転した。

 警察で虚偽自白させられた袴田巌さんは公判から一貫して否認したが68年9月、静岡地裁は44通もの警察調書を「任意性がない」と証拠排除しながら、たった一通の検察調書を拠り所に死刑判決を下し、1980年に最高裁で確定した。第一次再審請求は棄却され、第二次再審請求さなかの2014年3月、静岡地裁は「著しく正義に反する」と再審開始を決定、袴田巌さんは死刑囚のまま48年ぶりに釈放される。しかし刑執行の恐怖から来る拘禁症で言動が頓珍漢になったまま、姉の秀子さんと暮らす。

 再審開始決定で静岡地裁は警察が「ズボンの裁断で使った端布が巌さんのタンスから出てきた」としたことについて「警察の捏造の可能性」を明確に指摘した。一年も経って見つかったとした5点の衣類も証拠固めのため、警察関係者が味噌樽に放り込んだ可能性が濃厚だ。

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