「青天を衝け」、埼玉県北部と群馬県南部の人々を喜ばせた“武州ことば”って?

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“はー”が少ない

 ちなみに「青天を衝け」で流れた武州弁はどの様なものがあるのだろうか。

「“○○だよね”を意味する“○○だいね”“○○だんべ”がまず懐かしかったですね。それから“来ない”ではなく、“きない”“きねぇ”は独特かもしれません。また、和久井映見さんが息子・栄一の物覚えの良さに驚いたときに使った『はー覚えちまったんかい!』の“はー”は欠かせません。“もう行くの?”と言うときは“はー行くん?”となり、県北では多用されます。セリフとして改めて聞いてみて、自分たちにも方言があったんだなという感慨があります」

 北関東出身の知人が多いという、辛口コラムニストの林操氏はどう見たのだろうか。

「武州弁というより、熊谷弁と上州弁からよく拾っているように思いました。今でこそ埼玉、群馬と分けられているものの、明治初期には熊谷県として一緒だった時期もあります。埼玉県北部は群馬と共通の言葉も多いんです。ドラマでは特に平泉成さんと朝加真由美さんはナチュラルで上手い。あの辺りの年寄りたちが普通に使っていた言葉です。幕末の頃も同じように使われていた言葉なのかはわかりませんが、方言はローカル色を出すためのスパイスとして便利なのでしょう。もっとも、詰めが甘いのか、敢えてそうしているのかはわかりませんが、所々が標準語になっています。北関東の人は“はー”を非常に良く使用されますが、1話に関しては1度くらいしか使われず、標準語の“もう”がよく使われていました。まあ、やろうと思えば、もっと汚い武州弁にすることも出来たと思うのですが、吉沢亮(栄一)や高良健吾(渋沢喜作)といったイケメンにはしっくりこないでしょうからね」

 仰るとおりである。

「ただ残念だったのは、1話の冒頭です。まだ若々しい栄一と喜作が京都に行って、馬上の徳川慶喜(草なぎ剛)の通行を止めたシーン。喜作が『行ぐべ』と栄一に囁き、道に飛び出すわけですが、訛っていたのはほぼそれだけ。相手は水戸藩出身といえども、江戸育ちの慶喜です。ここでもっと、埼玉の田舎育ちと、江戸で後年、将軍となる育ちの違いを見せても良かったのではないでしょうか。もちろん、栄一はこの後、幕臣に引き上げられて活躍していくわけですが、20代前半のこの頃は、まだまだお国訛りも抜けなかったはずです。この調子では、栄一の武州弁はすぐに抜けてしまいそうですね」

 武州弁を楽しみにしている埼玉、群馬県民は、「はー終わったんかい?」なんてことになりそうだ。

デイリー新潮取材班

2021年2月21日掲載

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