「金儲けの才能があるスターの取り巻きはみんなおかしくなる」780億を集めた兜町の風雲児・中江滋樹が語った「カネと人」

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「青年実業家」は良くも悪くもニュースに取り上げられやすい。人気女性キャスターと新婚のはずなのに不倫をして……という件が大きく扱われたのは記憶に新しい。また、昨年末には夜の街で豪遊し、その接客をしていた女性が「テキーラの一気飲み」で変死したなどというスキャンダルが報じられた人物もいる。また歴史を紐解けば、戦後まもなく、東大生らが闇金融もどきのビジネスに手を染めた「光クラブ」事件なるものもあった。

数奇な運命をたどった稀代の相場師

 昭和、それもバブル前夜、日本経済が絶好調の時代を象徴する「青年実業家」の一人が中江滋樹である。「投資ジャーナル事件」の印象があまりに強いため、「実業家」と見ない向きもいるだろうが、「小学生で株取引を始め、弱冠20代にして大阪・北浜の若獅子、東京・兜町の風雲児と持てはやされた」という人生は、さまざまな青年実業家のストーリーとも重なる。

 ただし、事件で逮捕されて以降、表舞台での再起は叶わず、昨年2月、葛飾区内のアパートで焼死した。出火原因は寝タバコの不始末と見られている。

 若くして人生の絶頂を迎えて、その後転落していく、というのもまたある種の実業家の典型的なパターンだと言えるだろうか。

小学生で株を買う

 波乱万丈の人生を彼はどう考えていたのか。66歳で亡くなるまでの10年間、彼に取材を続けたジャーナリスト、比嘉満広氏の著書『兜町の風雲児―中江滋樹 最後の告白―』には貴重な晩年の言葉が多く収められている。

 どこか達観したところもあり、またいまだに株への執着を見せるところもあり。特徴的なのは、他人への恨み言の類があまりないところだろうか。同書から、晩年の中江による「金と相場」についての彼なりの哲学を引用してみよう。

「僕の中ではお金についての考え方は時代とともに変わっていったね。

 小学生の頃に買った株は、親から貰ったその金で大好きな映画がタダで見られる、しかもお金が減らないからいいや、そんな感じだった。

 それが中学ぐらいから相場が楽しくなってきて、もっと株をやりたくなり、欲しい物を買うより株に投資する元金が欲しくなった。

 高校生になると、その年齢では普通は手にすることができないほどの大金が手に入った。授業中も、窓際の一番後ろの席でラジオを持ち込んで短波放送の市況を聞くほど、株にのめり込んでいった。都合のいい席を確保するために級長に飯をおごって懐柔したりもした。この時、人を動かすお金の使い方を知ったのかもしれない。

 24歳で『投資ジャーナル』を設立して社員を抱えるようになってからは、お金は身体に流れる血液と同じようなもので、社会で人を育てるための潤滑油だと思うようになった。『金の力』の意味も分からない、大学出たての学生気分の社員に10万円の価値を教え、金を稼ぐという資本主義の面白さを教えた。

 僕自身は相場でいくらでもお金を手に入れることができたから、簡単なことだと思っていた。1日に動かす資金は10億円くらいで、2年間で40億円は儲けていた。検察庁の裁判資料によると、『投資ジャーナル』が集めた金は780億円、そのうち顧問料が500億円。1983年と1984年の2年間で27億円から28億円の儲けがあったことになっている。事件になって集めたうち600億円は客に返しているけどね」

 事件の詳細はここでは割愛するが、中江の手掛けていたのは簡単に言えば、顧客に委託されて投資で増やす、というビジネスモデル。本人の認識としては合法的なビジネスということだったのだが、1985年、詐欺容疑で逮捕され、懲役6年の実刑を受けることとなる。しかしその危うさも承知で、彼の眼力にすがった客が多かったのもまた事実であろう。

カネは両刃の剣

「1980年代の初めは事業でも儲けていた。当時は三浦友和と山口百恵夫妻と同じ高輪の高級マンションに住んで、妻には家賃50万円と駐車場代を含めて毎月500万円を渡していた。

 赤坂や銀座で色々な人と遊ぶ際も、事業からの接待費として使っていた。今日はマックスでこの売り上げだからこれぐらいの金を持っていく、その範囲で遊んでいた。20代後半の頃は多い時で紙袋に5000万円を詰め込んで遊んでた。

 もちろん、今になって思うと僕の金銭感覚は無茶苦茶だった。それでも、相場で儲けた金を回して遊ぶようなことは絶対にしていない。そんなことしたら、相場の神様に怒られるからね。

 連日、高級料亭で二座敷に三座敷、さらには銀座のクラブをハシゴする、そんな金の使い方をする意味はいったい何だったのか?

 お金があったからこその人生だったのも事実だし、反面、人生が狂ったのも事実。自分の人生を振り返って、お金があったからあれだけの経験もできたし、表社会、裏社会の人を含めて色々な人と知り合うことができた。それは人生を楽しく、豊かにしてくれたと思っている。

 ただし、お金は両刃の剣だよ。僕の金にみんながたかってきた。芸能界でも金儲けの才能があるスターの取り巻きはみんなおかしくなる。周囲が寄ってたかってその“金の生(な)る木”のスターから盗みとることしかしなくなるからね。親もきょうだいも妻までも、さらにはヤクザもみんな僕から金をむしり取っていったよ。

 それでも、自分の力で何十億も稼いで、自分で全部使ってきたんだから何も後悔することはない。僕はいくら金があっても、土地やマンションを買う気はまったくなかった。物欲は一切ないんだ。そんなもの持ったら、それに囚われてしまうから。

 僕は最後まで自由人でいたかったから、物のために縛られたくなかった。僕にとってお金は、自由人として本当の自分を貫くために必要なものだった。子供の頃と変わらない、天真爛漫な自由人でいられたのはお金のおかげ。少なくとも投資ジャーナル事件まではそうだったよ」

「1億円もあれば倍々に儲ける自信がある」

 彼の話から伝わってくるのは、とにかく「相場」が好きだ、ということだ。拘置所の中でもチャートをチェックしていたというから筋金入りである。

 その姿勢は、ほぼ無一文になった晩年も変わらなかった。2019年7月の時点で「今の相場は、一番簡単」だと豪語して、こう語っていた。

「1億円もあれば倍々に儲ける自信があるね。目の前に1億円を持って来いと言っているわけじゃないよ。資金を出してくれる人の1億円の口座を借りるだけで、その人自身が損するわけではないからリスクはない。(略)

 僕は1億円を損してその人の人生を狂わせてしまうなら、その口座を使おうとは思わない。人の人生を狂わせたくないから、1億くらい損しても生活に影響がない、支障がない人が出資してくれないとやりたくない。お年玉プレゼントで1億円をポンと出したZOZOの前澤友作社長(当時)のような人が資金を出してくれたら、僕も心置きなく勝負できるよ」

 晩年は生活保護を受けており、家賃、公共料金を差し引くと月々4~5万円で生活をしていたという。しかし、同書に採録されている、株について語る彼の言葉からは何とも言えぬ活力が伝わってくる。これもまた金の持つ力だろうか。

デイリー新潮編集部

2021年2月17日掲載

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