兜町の風雲児「中江滋樹」 国税に睨まれて頼った「田中角栄」の一言

国内週刊新潮 3000号記念別冊「黄金の昭和」探訪掲載

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インタビューに答える中江。全盛時は倉田まり子とデートを重ねた

 いかつい髭面に長髪をなびかせ、肩で風を切って、街を歩く。日本がバブルに沸き始めた昭和60年以降。証券市場で7800人の投資家から600億円近い巨額資金を集め、史上最大規模の詐欺事犯「投資ジャーナル事件」を起こした首謀者は、かつて“兜町の風雲児”の異名を取った。男の名は中江滋樹。現下、俄かバブル状態の株の世界で活動を再開したという彼は、快く取材に応じてくれたが、時折ポカンと虚空を見つめるその姿に、往時のカリスマ性は感じられなかった。

「俺、成績良かったんだよ。特に数学は、進学校で知られる滋賀の彦根東高校時代、全国模試で3番になったこともある。もし、株にのめり込まなかったら、弁護士か公認会計士にでもなっていたのになあ」

 もともと株の世界は、株屋という言葉があるほど古臭い世界だったと彼は言う。

「そこへ数学と科学を持ち込んだのが俺なんだ。たとえば3割ずつ10回儲けると、投資した金額が10倍以上になる。それから上場企業が所有する特許の情報を持ち込んで相場を予想した。24歳の時、上京して『投資ジャーナル』を設立し、それまでガリ版刷りだった『月刊投資家』を製本して本屋に置いてもらうと飛ぶように売れたよ。投資顧問料だけで500億円くらい稼いだ。株で儲けたのが50億円。でも、この50億は、全部飲み食いで使ってしまった」

 中江の株の師匠は、名古屋にあった情報誌「三愛経済研究所」の所長だった。高校時代から会員になっていたという。その後、上京すると、野村證券や大和証券の各部長、“山一證券の頭脳”と呼ばれた幹部など、証券界のトップ・トレーダーと交流を持った。彼らが主宰する勉強会にも出席。企業情報を聞いて、それを元に相場観を述べ、的中を繰り返すと、兜町での中江の評価は動かしがたいものになっていった。

 評判が評判を呼び、彼の許には「私のお金も運用してほしい」と、一般客ばかりか、政官財のVIPや芸能界、スポーツ界の有名人が群がった。彼自身も都内の高級ホテルで頻繁に豪華なパーティーを主催するようになり、そこにも政治家や高級官僚、芸能人らの姿が見られた。こうして彼は莫大な軍資金を掌中に収めたが、そこには許されざる“謳い文句”があった。

「『投資ジャーナル』では10倍融資を喧伝して2000人の会員を集めた。たとえば、元手が100万円あれば、900万円貸して、1000万円分投資できるようにした。俺は慎重だからね。信用できる情報をもらって、間違いないところに相場を張るんだもの。バンバン儲かった。しかし、インサイダー取引ではあるな。生き馬の目を抜く兜町で、“俺は目のつけどころが違う”と前途洋々の気分だった」

 掻き集めた莫大な資金で、中江が仕手戦を演じた銘柄は関東電化、富士通ファナックなど。その中でも大型株の株価吊り上げで伝説となったのが、政治銘柄、青木建設の仕手戦である。

「ある時、スプーン曲げのユリ・ゲラーをパーティーに呼んだんだ。そこへ青木建設の社長が娘を連れて現れた。社長はいたく喜んでね。“お礼だ”と言って、南米で金を掘り当てた話を、発表前に内緒で教えてくれたんだ。俺、ばかばか買ってさ。結局、300円の株価が1000円以上になって、大儲けした」

 栄耀栄華を極めた中江は社員たちを引き連れ、銀座や赤坂、六本木に繰り出し、ホステスにチップをはずむ。花柳界でも豪遊を重ねた。そんな折、

「赤坂の半玉(芸者見習い)を一本(一人前)にした。その際、国税が動いたことがあるんだ。自分の女にしたのはいいが、彼女、俺がやったカネで赤いベンツなんか買うもんだから、同僚だったお姐さんが焼き餅を焼いて国税にチクったんだな。その時は、薬品会社の社長に紹介してもらった田中角栄先生に相談した。すると、さすがは大蔵省に睨みを利かせていた角栄先生だ、その途端、国税の調査はピタッと止まった」

 中江はすぐに3000万円の謝礼を持って、目白の田中邸へ挨拶に赴いたという。すると角栄は、彼を睥睨して言った。

「君みたいなガキから、カネはもらえない」

 カネを突き返された中江は、かねてからの関心事について角栄に尋ねた。

「先生、この国の政治は、どこで決まっているんですか」

 角栄は応接間の床を指し、こう答えた。

「ここだよ。中江君、ここでこの国のすべてが決まっている。国会じゃない、俺が決めてるんだ」

 凄い迫力を感じたという。

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