新潟少女監禁事件の元受刑者は死亡していた 性犯罪事件で逮捕された「ミスター慶応」との接点

国内 社会 2021年2月5日掲載

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千葉市内で病死

 20年1月、新潟日報は「柏崎女性監禁事件 元受刑者が病死 2017年ごろ、出所後千葉で」の記事を掲載した。

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 新潟日報は「柏崎」の地名を事件名に含めているが、全国ニュースでは「新潟少女監禁事件」と呼ばれることが多い。

 小学校4年生の少女を誘拐、約9年2か月もの長きに渡って監禁した事件は、文字通り社会を震撼させた。

 新潟日報の報道に話を戻すと、このスクープを他の全国紙が後追いすることはなかったようだ。そのため元受刑囚の死亡を初めて知る読者もおられるのではないだろうか。

 まずは事件を振り返る。1990年、新潟県三条市で、元受刑囚は当時9歳だった少女を誘拐。柏崎市の自宅に連れ込み、2階の一室で監禁した。

 元受刑囚の家庭内暴力に苦しんでいた母親が2000年、保健所などに相談。強制入院させるため職員らが自宅を訪れたところ、19歳になっていた被害者を発見した。

別姓で生活

 新潟県警は元受刑囚を逮捕。地検が未成年者略取・逮捕監禁致傷罪などで起訴し、03年に最高裁で懲役14年の実刑判決が確定した。

「逮捕監禁致傷の最高刑は懲役10年に過ぎないため、検察側は窃盗罪を併合するという異例の措置を取りました。

 それでも、日本の司法制度において元受刑囚を社会から隔離するのは14年が“限界”でした」(事件に詳しい記者)

 元受刑囚は千葉刑務所に収監された。だが獄内では問題行動を何度も起こし、“矯正”の成果はあまりなかったようだ。

 15年の春、元受刑囚は52歳の時に刑期満了を迎えた。服役中に、彼の頼みの綱だった母親は亡くなっていた。

 冒頭で紹介した新潟日報の記事には、《元受刑者は15年ごろに刑務所を出た後、新潟県内には戻らず、千葉県内のアパートで1人で暮らしていた。定職には就いていなかった》とある。(末尾に註1)

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