「もう年齢を数えるのもやめた」 戦慄の「8050問題」ルポ コロナ禍で相談件数が5倍に

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 80代になる高齢の親と、50代になりながら家にひきこもる子の、社会から隔絶された生活。さまざまな惨事も引き起こす「8050」の問題は、コロナ禍でどうやら悪しき展開を遂げているらしい。ノンフィクション・ライター、黒川祥子氏による戦慄すべき現場レポート。

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 師走の声も間近に聞こえてきた昨年11月28日深夜。東京都町田市の小田急線玉川学園前駅で、通過する特急ロマンスカーに身を投げた親子がいた。87歳の母と52歳の娘は母親の年金だけが収入源で、生活苦からか近所の人に金を無心していたとの証言もある。二人は鉄道心中という形でひきこもり生活に終止符を打った。

 80代の親と、社会に出ずに家に居続ける50代の子、閉じられた暮らし――。いわゆる「8050問題」が注目されるようになったのは2019年のことだ。

 5月、神奈川県川崎市・登戸で私立小のスクールバスを待つ親子が襲われた無差別殺傷事件。犯人の男は51歳、伯父夫婦のもとでひきこもり生活を送っていた。6月、都内の一軒家で、76歳になる元農水事務次官が同居する44歳の息子を刺し殺し、世間に衝撃を与えた。

 奇しくも直前3月、国は初めて「40歳以上のひきこもり」に関する調査結果を発表。40歳から64歳までの「中高年ひきこもり」が推計61万3千人を数えることが明らかになる。これは15歳から39歳までの「若者」のひきこもりの推計54万1千人を優に上回っていたのである。

 なぜ、ひきこもりは中高年になるまで長期化してしまうのか。

 ひとつの典型例がある。

 広い敷地に意匠を凝らした家屋が規則正しく並ぶ、自然豊かな高級住宅地。その一角に、伸び放題の庭木に覆い尽くされた家がある。

 その家は今を遡ること42年の1979年、大手企業に勤務する父が1千万円かけ、贅を凝らして建てたものだ。当時47歳の父・信二(仮名)と専業主婦の妻53歳、19歳の長男、17歳の長女、13歳の次女。一家5人にとっては「理想のマイホーム」となるはずだった。

 2018年夏、私は無人となったその家に足を踏み入れる機会を得た。

 土足で入るしかない荒れた室内。鼻腔を突く饐(す)えた臭い。腐って黴(かび)が生えたダイニングの床。

 原因をつくったのは次女の千秋(仮名)である。

 千秋は1990年代半ば、29歳でひきこもるようになり、母と姉に暴力をふるい始めた。二人はたまらずアパートに移り、数年後には父・信二もそこに合流した。

 信二は高度経済成長期とバブル期をエリートサラリーマンとして駆け抜け、家庭のことは妻に任せ、接待飲食やゴルフ、旅行などに明け暮れてきた。早朝に家を出て深夜に帰宅。当時の典型的な“モーレツ社員”で、年収は1500万円ほどあったという。

 教育熱心な妻は「女も手に職を持つべきだ」という考えから、夫と相談のうえ娘には音楽で身を立てさせようと決意、幼い頃からピアノを習わせた。

 ところが長女は挫折し、それが原因でうつ病を患う。一方、千秋はピアノ講師の職を得て教室を任されるも、独善的な指導で生徒が離れ、運営会社と揉めて20代後半で離職。以降、社会との接点を一切断つのだ。

 千秋の問題について信二が外部に助けを求めたのは20年も経ってから。千秋は齢50も目前になっていた。信二も、ときに80歳過ぎ。すでに90歳近くになった妻の介護を担う保健師のアドバイスにより、生活困窮者自立支援事業の窓口に駆け込んだ。他でもない。2015年施行の「生活困窮者自立支援法」が、40歳以上のひきこもり支援に適用できる唯一の法制度なのである。

知られたらもう住めない

 信二は訴えた。

「妻にがんが見つかり、長女のうつの治療費もかかり、株を売ったり退職金を充てたりでしのいできましたが、金が底を突きました」

 もはや千秋を家から追い出し、土地を売るしかない。

 かくて千秋は支援の対象となった。支援事業の関係者に千秋は切々と語った。

「私が働けないのは家族のせいなんです。だから私は働かなくてもよくて、家族が私を食べさせるのは当然のことなんです。私の20年を返してほしい」

 千秋の生活を支えるのは、信二からの仕送り月額5万円と、信二名義の携帯でとる宅配食だった。信二も支援事業者に訴えた。

「今住むアパートの家賃と合わせて、退職金の1千万円を使い果たしました」

 父と次女、両者の言い分は交わらない。千秋は言う。

「私は父の決めたことをやらされ、振り回されてきたんです。父に道を押し付けられてきた。こうなったのは全て父のせいなんです」

 当時の父親は大黒柱として、強い権限を持っていた。信二もそうだったのか。父から一つの道しか提示されない人生を強いられた娘は、挫折した時、姉のように心を病むか、社会から撤退するか、いずれかしかなかったのかもしれない。

 なぜ千秋のことを長らく相談しなかったのだろう。

「世間には隠しておきたい気持ちがありました。隣り近所に知られたら、あそこには住めなくなります」

 聞けばしかし、親の都合でしかない。ひきこもりの長期化の理由に、実情を恥とし、存在を隠したがる親の心理がある。なまじ財力があるゆえ、外に助けを求めようとしないのだ。

 50を超えた千秋は今、支援者の説得で家を出て、生活保護でアパートに暮らす。就労するよう迫っても無理だという判断があった。

 千秋が去った家には、ケータリングの残骸が、食べ残しとともに足の踏み場もないほど積み上がり、彼女が寝起きしていた2階の洋室も、ベッドの上までゴミだらけだったという。千秋はここで生きていたのだ。

 もちろん父でなく、母が“主因”となる例もある。

「おふくろの味などという温かいイメージで母親と食べ物をつなげて考えるなんてできません」

 そう語る男性は〈ぼそっと池井多〉と名乗り、「8050問題」の当事者として数年前から発信を続ける。中肉中背、白いものが混じる顎ひげが年齢を物語る。

 58歳、うつ病もあって働けず、生活保護を受けてひとりで暮らしている。

 母が絶対的権力を握る家だった。昭和11年生まれで現在85歳の母・道代(仮名)は女子大卒の塾経営者。対する昭和8年生まれ、88歳になる父・茂夫(仮名)は工業高校卒の元“平社員”。池井多はそんな父の背中に放たれる、道代の言葉を聞かされて育った。

「お父さんのようになったらおしまいよ。収入もない、才能もない。こんな人間になってはダメ。おまえは一橋大学に行きなさい」

 池井多が“スパゲッティの惨劇”と呼ぶ光景がある。

「夕食前、いつも母は何が食べたいかを訊きますが、そもそも希望を言える関係にないので『何でもいい』と答えるしかない。それが母は気に入らず、苛立ちながら『おまえ、スパゲッティが食べたいのね!』と、あらかじめ決めていた答えに誘導するわけです」

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