「文在寅の逮捕・収監」は不可避 特赦されても罰金免除ナシ 畳の上で死ねない“四権の長”韓国大統領

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任期中の報酬の95%を支給

 2021年1月14日、朴槿恵(パク・クネ)前韓国大統領の実刑が確定した。朴前大統領は知人の崔順実(チェ・スンシル)氏と共謀して、サムスングループなどから多額の賄賂を受け取った容疑などで収賄罪や職権乱用罪に問われていた。絶対的な権力を誇る韓国の大統領は退任後、人もうらやむ手厚い補助が用意されているのだが、親族も入れればことごとく塀の向こう側に落ちている。それは現職の文在寅も例外ではないというのだ。

 韓国大統領は李承晩(イ・スンマン)から現在の文在寅(ムン・ジェイン)まで19代12人で、初代を筆頭にほとんどが悲惨と言ってもいいような末路を迎えている。

 制度としては韓国の大統領は、退任後に年金支給や礼遇が用意されることになっている。

 任期中の報酬の95%が年金として支給され、亡くなると配偶者に70%相当の遺族年金が支給される。

 加えて、秘書官3名と運転手1名、死去後は配偶者の秘書官1名と運転手1名、また、警備や警護、交通、通信、事務室等と本人及び家族の医療費などが公費で賄われる。

 ただし、弾劾で退任、禁錮以上の刑が確定、あるいは刑事処分を回避する目的で国外に逃亡すると礼遇は剥奪される。名誉も剥奪だ。

 民間団体等が推進する前職大統領の記念事業も国が支援するが、2020年5月、忠清北道は「青南台」にある全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)両大統領の銅像の撤去を決定した(その後、撤去は回避され、罪状表示が検討されているという)。

 禁固刑の以上の刑が確定し、礼遇を剥奪されたからという理由だ。

初代大統領李承晩の怨念

 銅像がある「青南台」は、全斗煥元大統領が忠清北道清州市に建設した大統領専用の休養地で、南にある青瓦台(大統領府)の意で名付けられた。

 全斗煥に続いて、盧泰愚、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)元大統領が休養地として活用。盧武鉉元大統領が1日だけ利用した後、一般に解放した。

 大統領記念館や歴代大統領の銅像などを設置した大統領テーマ公園が整備され、毎年80万~100万人の市民が訪れる。

 公園を管理する忠清北道は「罪人を美化することは恥ずかしい」として、李明博(イ・ミョンバク)元大統領に関連するテーマロードの廃止も検討する。

 逮捕・収監された大統領に関するものをすべて廃止しても、展示が寂しくなる懸念はないのだろうか。歴代大統領の「足跡」を見てみよう。

 第1・2・3代に亘って大統領を歴任した李承晩は、米国に亡命した。

 李承晩は日本統治時代の1910年代に、米国プリンストン大学で韓国人初となる博士号を取得。

 日本の統治時代にハワイで韓国人塾と韓国人学校などを運営しながら、独立運動を主導。1945年10月に韓国に戻り、1948年8月15日、初代大統領に就任した。

 李承晩は、米国軍司令部の下、反共、自由民主主義、市場経済を採用し、農地改革や学校建設と小学校義務教育、韓米相互防衛条約を締結するなど韓国の基礎を築いた。

 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると開戦2日後の27日未明に特別列車でソウルから逃亡。首都ソウルは翌28日に陥落した。

 李承晩は反共と反日を政策の柱とした。

 日本の大衆文化を規制して、反日教育を導入。竹島の実効支配も李承晩の時である。

 竹島は第2次大戦後に米軍の爆撃訓練場となり、朝鮮戦争が勃発すると韓国軍が訓練に参加した。

 訓練場としての役割を終え、米軍は竹島から去った後に韓国軍を駐留させたが、朝鮮戦争の只中で、日本が抗議のために島に近寄ることはできなかった。

 大統領の任期は、当初は米国に倣って1期4年、再選までとしたが、李承晩は自ら作った憲法を強行改正した。

 4期目の当選を画策したものの、選挙が不正だという批判を浴びてハワイに亡命し、1965年に90歳で亡くなるまで、亡命生活を送った。

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