人気商売の「ヤクザ」はどう変わったか 「暴排条例」全国整備完了から10年が経過して

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 去る1月14日、一般市民を狙ったとされる4つの事件で殺人などの罪に問われている、北九州の特定危険指定暴力団「工藤会」のトップ・野村悟被告に対し、検察は死刑を求刑した。暴力団排除条例はこれらの事件が発端となって施行され、全国に整備が展開。2011年に完了した。それから10年、どんな変化があったのか。暴力団の動向に詳しいノンフィクションライターの尾島正洋氏がレポートする。

 全国の暴力団構成員が近年、減少の一途をたどっている。

 暴力団構成員は最盛期だった1963年には10万人を超えていたが、警察庁の最新データとなる2019年末時点では約1万4400人となっており大きく減少した。

 1992年に施行された暴力団対策法の運用が本格化したほか、バブル経済が崩壊したことでシノギと呼ばれる資金獲得活動が困難になったことなども要因のひとつとしてあげられる。

 しかし、長年にわたり暴力団犯罪の捜査を指揮してきた警察当局の捜査幹部らは、「暴力団排除条例(以下、暴排条例)が全国で整備されたことが最も大きく、効果的だった」と指摘している。

 今年は暴排条例が2011年に全国での整備が完了してから10年を迎える。減少傾向著しい近年の暴力団情勢を振り返る。

みかじめ料の支払いを禁じ

「暴排条例の大きな特徴は、繁華街の飲食店などがみかじめ料(用心棒代)を暴力団側に支払うことを禁じたこと。悪質なケースは店舗名や企業名が公表される。これは営業面でイメージダウンとなることは間違いない。条例をきっかけに法人、個人の暴力団との絶縁がかなり進んだ」

 と、前出の捜査幹部が成果を強調する。

 減少の傾向は国内最大の指定暴力団・山口組も同様だ。

 山口組は内紛から2015年8月に分裂し離脱グループが神戸山口組を結成、対立状態となったが、分裂前の2014年には約1万300人の構成員が確認されていた。

 だが、2015年末には山口組約6000人、神戸山口組約2800人となり、分裂を勘案しない元々の山口組系と捉えると約8800人で1万人を割り込んだ。

 減少傾向は続き、最新データとなる2019年では、山口組約4100人、神戸山口組約1500人と6000人を割り込んでいるのが実態だ。

 首都圏を拠点に長年にわたり活動している指定暴力団のベテラン幹部も、「長いこと一緒にやっていた連中で、暴排条例が出来てからヤクザを辞めていく者が急に多くなった。(資金提供をしてもらっていた)カタギ(一般人)の方から『付き合えなくなった』と言われて急に関係がなくなってしまったようだ。急にいなくなるなど、行方不明ということも多い」と実情を明かす。

 暴排条例以前の警察による暴力団の取り締まりは、暴対法の運用がメインだった。

 暴力団による繁華街の飲食店などからのみかじめ料の徴収の禁止や、対立抗争事件が起きた場合には事務所の使用制限など活動に制限を設けた。

 しかし、みかじめ料の徴収が発覚しても公安委員会から中止命令が出されるだけで、暴力団側からすると、「恐喝で逮捕されるよりは、中止命令で済むなら軽いもの」という感覚だった。

「銀行口座の解約を…」

 暴排条例が施行されると暴力団側に利益を供与した法人、個人に罰則規定があるため大きな転機となった。

 さらに、銀行口座の開設やマンションなどの不動産賃貸でも、「暴力団などの反社会的勢力には属していない」という約款を交わすようになった。

 マンションの賃貸などで暴力団ではないなどと虚偽申告したとして逮捕、銀行口座の開設でも時価では数百円のキャッシュカードをだまし取ったなどとして逮捕されるケースも続発。日常的な経済活動も制限されるようになった。

 前出の指定暴力団のベテラン幹部は、「ある日、突然、口座を持っていた銀行から、『口座の解約に応じてほしい』と依頼があり驚いた。自宅の電気、ガス、水道などの引き落とし口座だったので、家族の生活もあり勘弁してもらった」と振り返る。

 別の指定暴力団幹部も、「暴排条例ができた当時、銀行のキャッシュカードがかなり古くなってきたので、新しいものと交換してもらおうと思ったが、断られる可能性があると思い、その後も大切に使い続けた」と打ち明ける。

 こうした状況について、前出の捜査幹部とは別の、30年近く暴力団犯罪捜査に携わってきた警察当局の現場の捜査員もこの10年間の実情について打ち明ける。

「まさに暴排条例はダメ押しだった。銀行をはじめとした一般企業は、暴力団組員らが逮捕された際の新聞報道などに基づきデータベースを作っている。企業から顧客について反社会的勢力に属しているかどうか問い合わせがあった場合には、必要に応じて回答していた。こうして関係遮断が進んだのだろう」

「それでも、ヤクザは人気商売。中小企業の経営者など、事業家の中にはヤクザを好きな人たちがいて、多くのスポンサーがついている。活動にはカネがいるから、資金提供の名目を考えて何かしらの形で利益供与している可能性はあるだろう」

九州での抗争が契機

 全国の暴力団構成員が減少するきっかけとなった暴排条例は、福岡県で2010年4月に初めて施行された。

 現在、国内には24の組織が暴対法に基づいて指定暴力団に指定されているが、このうち福岡県は5つの指定暴力団が存在するほどの過密地区。

 その福岡県を中心とした九州北部で起きた激しい暴力団の対立抗争事件が続発したことが、暴排条例が制定されるきっかけだった。

 2006年、福岡県久留米市に拠点を置く指定暴力団道仁会で内部対立が先鋭化して一部のグループが脱退し九州誠道会(現・浪川会)を結成したことで対立が明確となった。

2015年に山口組が分裂して対立抗争状態となったのと同じ構図だった。

 その後は、福岡、佐賀、長崎など九州の4県で対立抗争事件が続発。

双方の幹部が銃撃されるなど40件以上の事件が発生し、14人が死亡した。続発する事件の過程で、2007年には佐賀県の病院で九州誠道会幹部と間違われた一般市民が巻き添えになり、射殺されるという許しがたい事件も起きた。

 こうした対立抗争事件の続発に、地域住民の間で暴力団排除運動が盛り上がりを見せたことが暴排条例施行へとつながった経緯がある。

 しかし、福岡県北九州市を拠点にして九州北部に広く勢力を誇っていた指定暴力団工藤会構成員らによって、みかじめ料などの支払いを拒否したスナックの女性経営者らへの襲撃事件が相次いだ。

 スナック経営者らを切りつけた傷害事件や、店舗への放火事件など傍若無人な工藤会の振る舞いに一般市民は恐怖におののくとともに、暴力への非難の声を上げた。

 世論の後押しもあり、福岡県警は道仁会と九州誠道会の対立抗争事件、工藤会による飲食店経営者襲撃事件などを相次いで摘発。

 並行して道仁会と九州誠道会の双方を特定抗争指定暴力団に、工藤会については特定危険指定暴力団に指定し、活動を強力に規制して抑え込むことになった。

「カタギのみなさんに…」

 特に工藤会については、

・1998年の元漁協組合長射殺事件
・2011年の建設会社会長射殺事件
・2012年の福岡県警元捜査員銃撃事件
 
 などの凶悪事件を引き起こしたとして、トップらが逮捕され組織が大きく縮小した。

 工藤会に対しては、同業者も冷ややかだったようだ。

 都内を拠点にしている指定暴力団幹部は当時、「カタギのみなさんにかわいがられることもヤクザの仕事のうち。スナックのママさんらを切り付けることにどのようなメリットがあるのか」と懐疑的な見方をしている。

 福岡県で始まった暴排条例は全国で順次、施行が続き、2011年10月に東京都と沖縄県で暴排条例が施行され全国整備となった。

 暴排条例の規制により暴力団側への資金提供のパイプが大幅に縮小したことが暴力団構成員の減少にもつながっているのが実態となっている(後編に続く)。

尾島正洋
1966年生まれ。埼玉県出身。早稲田大学政経学部卒。1992年、産経新聞社入社。警察庁記者クラブ、警視庁キャップ、神奈川県警キャップ、司法記者クラブ、国税庁記者クラブなどを担当し、主に社会部で事件の取材を続けてきた。2019年3月末に退社し、フリーに。著書に『総会屋とバブル』(文春新書)。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月20日掲載

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