失われた記憶が甦る! 認知症の音楽療法とは 感情記憶を刺激して記憶の低下が回復

ライフ 2021年1月5日掲載

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 刺激のない巣ごもり生活のストレスから、認知症の患者が増加傾向にあるという。その臨床の現場では、失われた記憶を音楽によって取り戻すユニークな試みが行われていた。科学ジャーナリストの緑慎也氏が、音楽療法に秘められた不思議な力を密着レポートする。(「週刊新潮」2020年10月22日号掲載の内容です)

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 自分は今、どこに向かっているのか。福井武雄さん(68)=仮名=はいつもこの不安と闘っていた。前を歩く妻の美奈子さん(66)=同=から行き先を教えられるたびに「ああ、そうか」と合点がいった。しかし、20分ほどで忘れてしまう。妻は自分をどこに連れて行こうとしているのか――何度も疑問がわいた。

 武雄さんが若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けたのは3年前。異変を感じたきっかけは、趣味のカラオケだ。モニターに表示される歌詞を追えなくなったのだ。症状は次第に悪化し、会社重役の地位からも身をひいた。

 この日、たどり着いたのは、大病院の一室とは思えない一風変わった場所だった。中央にグランドピアノ、その周囲にはタンバリン、カスタネット、ハンドベル、ギター、マンドリン、ボンゴ、三味線など、種々様々な楽器も置かれる。さながら学校の音楽室である。

 この部屋の入り口で、武雄さんはようやく、ホッと胸をなで下ろした。京都市の自宅からわざわざ電車を乗り継ぎ、1時間半もかけて国立病院機構京都医療センター(伏見区)にやってきた目的を理解したからだ。今から自分は音楽療法士、飯塚三枝子さんのピアノに合わせて歌うのだ。

 鍵盤の前に二人並んで座ると、挨拶もそこそこに飯塚さんが耳になじみのある童謡「海」の演奏を始める。武雄さんも調子を合わせて、う~みは、ひろいーなー、おおきいなー♪

 歌い出しも、音程も、テンポも完璧だ。

「海」の1番を歌うと次の曲に移った。飯塚さんは、武雄さんと合唱することもあれば、武雄さんの表情を見ながら、スムーズに歌えるように、歌詞を先読みすることもある。2曲目の「われは海の子」では飯塚さんが節を付けずに「我がなつかしき」と先読みして、武雄さんの歌唱を助けた。

 3曲目は舟木一夫のデビュー曲「高校三年生」。得意曲なのか、武雄さんの声が一際大きく、伸びやかに部屋に響く。昭和歌謡「丘を越えて」「上を向いて歩こう」と次々と歌い、短い休憩を取った後、加山雄三のヒット曲「君といつまでも」から再開。ここからは歌詞を見ながら歌う。

 間奏に差しかかると、飯塚さんから「今日も言っていただけますか」と促され、武雄さんがあの有名な「幸せだなァ……」からはじまるセリフを口にした。しかし途中にアレンジが加えられていた。「僕は死ぬまで君を離さないぞ」の「君」を妻の名前「美奈子」に変えたのだ。二人の後ろに一歩下がったあたりで座っている美奈子さんが顔をほころばせる。「愛の告白ができましたね」と飯塚さんに声をかけられ、武雄さんはキッパリ言った。「それだけは頭から離れない」。

 この後も数曲歌って、この日の「治療」は終わった。

 行先がわからず不安を覚えていた時とはまるで別人のような晴れ晴れとした表情で、

「すっきりしました」

 と武雄さんはいう。

歌ってから帰ると元気に

 考えてみれば、歌うという行為はなかなか複雑だ。歌詞を間違えずに口に出すのはもちろん、メロディやテンポにも合わせなければならない。20分前の記憶を失ってしまう武雄さんには難しい作業にも思えるが、歌っている間は、言葉がスムーズに出てくるのだろうか?

「どちらかといえば無意識ですね。頭で考えたらもうダメで、(伴奏から)遅れていきます」

 武雄さんは診断を受けてまもなく、認知症の当事者やその家族が気軽に交流できる認知症カフェのスタッフを介して飯塚さんを知り、京都医療センターが実施する治療研究「認知症に対する音楽療法」に参加。週1回、マンツーマンの音楽療法を神経内科の診察料数百円のみで3カ月受けた。その後も希望して、飯塚さんの元に通い続けている。今のペースは月2回、脳神経内科の外来で医師の指導の下で音楽療法を受けている。自由診療のため、1回3千円かかる。

「はじめの頃は、めちゃくちゃだったんですよ。歌にならなかった。でも、1年くらい経ったときから、合ってくるんです。合わせてもらっているというほうが正しいと思うんですけどね。飯塚先生の仕草にいろんなヒントが散らばっているので」(武雄さん)

 美奈子さんによれば、普段、自宅で武雄さんと会話を交わすことはほとんどないという。武雄さんが流暢に語るのを聞いた直後だけに意外だ。

「調子の悪いときといいときの波がありますね。『ティッシュ取って』とお願いしてもなかなか取ってくれない。見ると、ティッシュペーパーの箱の横から抜こうとしてました。ちゃんと箱の上に1枚出ていて、そのティッシュに触ってるのにですよ。ティッシュが分からなくなっていたようです。でも、スッと取ってくれるときもある。不思議な病気ですよ。ここに来て歌ってから帰ると元気になって、しばらくシャキッとしています。本当は毎日来たいくらいだけど、保険診療じゃないからね」(美奈子さん)

 音楽療法士としての活動を20年近く続けてきた飯塚さんは、生粋の音楽家だ。京都市立芸術大学を卒業後、ヴィオラ奏者として東京フィルハーモニー交響楽団に入団。6年在籍の後に夫とウィーンに1年留学し、帰国後はフリーの立場で演奏活動をする傍ら、老人ホームや障害者施設でボランティア演奏も行った。

 本格的に音楽療法に目覚めるのは、英ウェールズ地方の首都カーディフへの演奏旅行で、地元の大学で音楽療法を学ぶ学生の話を聞いたときだ。キリスト教音楽の和声法などを取り入れたヨーロッパの音楽療法の細やかな方法論に感心するとともに、日本人には日本人に合った音楽療法が必要だとも思ったという。

 帰国後は東京に住んで、演奏活動を続けながら音楽療法の研鑽を積んだ。一人娘に手もかからなくなってきた頃で、新たな一歩を踏みだしたい思いも重なった。そして2003年、横浜市の老人保健施設のリハビリテーション科に音楽療法士として入社する。

 40~50人を一堂に集めて音楽療法を行っていたとき、壁にぶつかったという。

「高齢者の中には軍歌を聞きたくない方も、思いを込めて歌いたい方もいる。童謡は稚拙だから嫌という方も、『大好き』と歌いたい方もいる。たくさん人を集めて、さあ音楽してと言われて、とても困ったんです」(飯塚さん)

 そこで思い出したのが、オーケストラの一員としてヴィオラを弾いていた頃のことだった。

「東フィルは年間130回くらい本番があるすごく忙しいオケです。でも、その分、ステージから客席を観察する機会もたくさんありました。クラシックファンの方たちには、低音が好きでいつもその近くに座る人もいれば、ヴァイオリンの近くに座る人もいます。ヴィオラの近くにいれば、メロディよりもヴィオラの音がよく聞こえます。そういう聴き方をしたくて座席を選んでいる方が多いんです。そこで、あるときふと気づきました。同じ曲でも、聴き方は千差万別ってことに。当たり前のことだけど、曲の受け止め方は一人一人違うんですよね」(同)

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