コースを間違えて危うく…「箱根駅伝」で本当にあった“3大珍事件

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 いよいよ東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が2021年1月2~3日に開かれる。今大会は97回目となるが、長い歴史のなかで“とんでもない珍事”も起こっていた。「平成箱根駅伝B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版社)の著者である久保田龍雄氏に「箱根駅伝の珍事件」を振り返ってもらった。

 トップを走っていた10区のアンカーが、総合優勝のゴールを前に、乱入者によって転倒させられるアクシデントが起きたのが、日本テレビの完全生中継がスタートした第63回大会(1987年)だ。

 前年の覇者・順天堂大は、9区でトップに立ち、アンカーの3年生・工藤康弘にタスキが渡った。中継所の時点で2位・日体大との差は1分14秒。「持てる力を出し切れば何とかなる」とV2のゴールを目指して走り出した工藤だったが、スタートから10分も経たないうちに、思わぬアクシデントが待ち受けていた。

 2.12キロ地点の川崎市宮本町の第一京浜道で、ジーパンにサングラス姿の若い男が突然コースに乱入し、工藤と並んで走り出したのだ。

 交通整理の警察官が取り押さえようとすると、男は逃げようとして、工藤の左後方に回り込んだが、その際に接触して足を引っかける形になったから、たまらない。バランスを崩した工藤は、右肩から崩れ落ちるように路上にバッタリと倒れ込んだ。後方からは伴走車のジープ(90年から廃止)もすぐ近くまで迫っていたため、一瞬ヒヤリとさせられた。

 転倒した際に右肘を強打した工藤は、走りを妨害された悔しさで頭に血が上ったが、「大丈夫か?大丈夫だったら、手を挙げろ!」というジープからの沢木啓祐監督の声で我に返った。「ハイ、大丈夫です!」と右手を挙げると、すりむいた肘から血を滲ませながら、ひたすらゴールを目指した。

 そして、日体大に1分5秒差まで追い上げられながらも、区間4位の1時間08分05秒で見事2連覇のゴールをはたした。一方、サングラスの男は暴行の現行犯で逮捕され、川崎署に連行されたが、陸上が好きな20歳の専門学校生と判明。「興奮して目立とうと思い、並走してしまった。邪魔をする気は毛頭なかった。選手に本当に申し訳ない」と反省しきりだった。

 その後、第86回大会(10年)では、山下りの6区で、2人で並走しながら2位争いをしていた中大・山下隆盛が、コースにはみ出ていた観客の手旗を避けようとして、転倒するアクシデントも起きている。

 スタート直後、“駅伝の命”とも言うべきタスキがないことに気づき、慌てて引き返すという前代未聞の珍事が起きたのが、第66回大会(90年)の6区だった。

 往路1位の大東大がスタートしてから10分後の午前8時10分、7位・東農大以下9チームが繰り上げで一斉スタートしたが、亜大の1年生・田中寛重は、20メートルを過ぎて左折した直後、血相を変えてスタート地点に戻ってきた。

 田中は「タスキ!タスキ!」と大声を出しながら、付き添いの3年生部員の姿を必死に探し求めた。なんと、タスキを忘れてスタートしてしまったのだ。間もなく先輩を見つけた田中は、タスキをひったくるようにして首にかけると、再び山を下り、前を行く他校の選手たちを必死に追いかけはじめた。

「目立つように忘れないように」とタスキを先輩の首にかけて預かってもらっていた田中だったが、ジャージーなどを脱ぐのに手間取っているときに、役員に急かされて焦り、初めて箱根を走る緊張感も手伝って、タスキを受け取るのをうっかり忘れてしまったのだ。

 また、6位・中大がトップから9分47秒遅れでスタートしたことから、一斉スタートを13秒後に控えたスタート地点はバタバタしており、田中がタスキを持っていないことに気づく関係者は誰一人いなかった。不運が重なったとしか言いようがない。

 40秒のロスタイムを何とか取り戻そうと、田中は懸命に走り、10キロ地点で2人を抜く健闘を見せたが、左足に痙攣を起こし、7区中継所の200メートル手前で、両校に抜き返されてしまった。この時点で、1位・大東大から20分以上離されたため、7区は繰り上げスタートとなり、次の走者にタスキを渡すことも叶わなかった。

「来年も選手に選ばれるように頑張ります。もちろん、タスキは忘れません」と雪辱を誓った田中だったが、これが最初で最後の箱根となった。

 ゴール手前でテレビ中継車につられて、うっかりコースを間違えるハプニングが起きたのが、第87回大会(11年)の10区だ。11位でタスキを受け取った国学院大の1年生のアンカー・寺田夏生は、悲願の初シード獲得を目指して、日体大、青学大、城西大の8位集団と激しいつばぜり合いを演じる。ゴールまで残り200メートル地点で寺田はスパートをかけ、一気に勝負に出た。

 ところが、残り150メートル地点で、「(前を走っていた)中継車が右にそれて、そのままついて行ってしまった」結果、コースを間違えてしまう。「あれ、みんな来てないな……」と気づいたときには、ライバルの3人は、寺田を抜き去り、ゴール目前に迫っているではないか。彼らとは約30メートルのロスがあった。

「人生で一番焦りました。このままでは先輩に顔向けできない」と気合を入れ直した寺田は、執念の猛ダッシュで10位・城西大との差を10メートルに詰めると、ゴール手前で抜き返し、わずか3秒差でゴール。ギリギリの10位でシード権を確保した。

 この一件以来、「コースを間違えた男」として一躍有名になった寺田は、翌年の第88回大会(12年)では、山登りの5区で4人抜きを演じる活躍。「『間違えた選手』だけでは終わりたくなかった」の名言を残している。

 2021年の第97回大会も各校のランナーたちが演じる人間味溢れるドラマの数々を期待したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。著書に「平成箱根駅伝B級ニュース事件簿」 (日刊スポーツ出版社)。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月2日掲載

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